ハワイで生まれ育った前田マヒナ(21)が、東京五輪への第1歩を踏み出した。サーフィンのジャパンオープン(5月6日開幕、千葉)の選考を兼ねた強化合宿が30日、千葉・鴨川市で行われ、日本特有の小さな波もうまく乗りこなし、代表入りへアピールした。米国代表で世界ジュニア優勝も経験しているホープ。五輪出場権がかかる9月のワールドゲームズ(世界選手権に相当、宮崎)と20年東京五輪でのダブル優勝へ意気込んだ。

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競技を終えた前田は、ロングヘアーをかき上げながら、なめらかな口調で「日本語は苦手」と笑った。会話の途中で英語を交えながらも、日本代表強化指定選手としてほとんどの受け答えを日本語でこなした。「日本の女子の中でナンバーワンになりたい。オリンピックではゴールドメダルを取りたい」と、力強く宣言した。

プロツアーのWSL(ワールドサーフリーグ)にはすでに「日本選手」として出場している。日本人の両親の下、ハワイで生まれ育ち、5歳から競技を始めた。米国代表の経験もあるが「日本はホームカントリーだから」と、東京五輪に日本代表で出場する道を選んだ。

この日は1セット20分間で行われる競技を2セットこなした。日頃、ハワイなどの大きな波に慣れているせいか、日本の小さな波には手を焼いた。それでも世界屈指のサーファーが挑む、10メートル級の波を連発するポルトガル・ナザレのビッグウエーブを日本人女子として初めてライドした誇りを胸に、見事に乗りこなした。小さい波ながらも、斜面を力強い上下運動で加速して躍動感を演出した。

女子25人が参加した今合宿で、ジャパンオープンの出場者16人が決まる。ジャパンオープンで優勝すると、9月に行われるワールドゲームズの出場が決まり、ワールドゲームでアジア1位になると、五輪出場候補となる。先は長いが、「ワールドゲームズでも勝って、オリンピックではゴールドメダルを首にかけて日本の国旗を持って表彰台に上がりたい」と早くも青写真を描いた。【佐々木隆史】

 

◆前田(まえだ)マヒナ 1998年2月15日、日本から移住した日本人の両親のもとハワイ・オアフ島で生まれる。5歳からサーフィンを始め、6歳から大会出場。13年に全米、世界ジュニア選手権で優勝し、翌14年にはWSLのQTランクで18位に入った。ブラジリアン柔術のインストラクターとしても活躍。162センチ、58キロ。

 

◆サーフィンの東京五輪選考方法 東京五輪出場人数は総数で男女各20人。1カ国最大2人となっている。選考方法は優先順位の高い方から(1)チャンピオンシップツアー(CT)ランキング上位(男子10人、女子8人)(2)20年ワールドゲームズの成績上位(男子4人、女子6人)(3)19年ワールドゲームズの4大陸最上位(アジア、欧州、アフリカ、オセアニアから男女各4人)となる。残る男女各2人は、19年パンアメリカン大会の優勝者と開催国枠。ただし開催国枠はCT、ワールドゲームズで出場が決まらなかった時のみ。