2連覇を達成した桐蔭学園の藤原秀之監督は、教え子を素直にたたえた。特に、コロナ禍でも愚直に頑張り続けた3年生への賛辞が絶えなかった。「難しいシーズンの中で、選手たちはよくやった。花園に行く前の短期間で成長を遂げた姿に、我々も驚かされた」。名将とも呼ばれるが、選手から教わることが多いと改めて実感している。

原点は選手時代の経験だ。大東大一高のラグビー部でWTBとして花園に2度出場した。高3の時には、全国制覇も経験している。卒業後はほとんどの選手が大東大に進学する中、恩師から「指導者になれるから」と言われ、1人だけ日体大に進学した。

コーチを経て02年に桐蔭学園の監督に就任した。翌03年度、第83回大会で、早くも花園に出場したが、3回戦で大分舞鶴に敗れた。05年度、第85回大会で初めて決勝に進んだが、今回と同じ京都勢の伏見工に敗れている。西高東低という図式を、なかなか崩せなかった。海外にも足を運ぶなどして、常にアンテナを張って新しいものを取り入れた。「パフォーマンス・コーディネーター」の手塚一志さんも、そんな1人だ。頂点に立っても、慢心はない。それはこれからも変わらないだろう。

今大会のベスト8に関西勢4校、関東勢はまだ2校。志は高い。「西日本の方がまだまだ競争力が高い」と素直に語る。国学院栃木の吉岡監督らとともに02年に「関東スーパーリーグ」を立ち上げ、切磋琢磨(せっさたくま)し、底上げを図ってきた。コロナ禍で今季は開催できなかったが、高校ラグビー界の勢力図を変える土台になっている。10日が53歳の誕生日。選手たちの頑張りで、最高の前祝いをしてもらった。

【平山連】

 

◆藤原秀之(ふじわら・ひでゆき)1968年(昭43)1月10日生まれ、東京都出身。大東大一高でラグビーを始め、85年度の全国選手権でWTBとして花園優勝。日体大卒業後の90年に桐蔭学園で保健体育の教員となりラグビー部のコーチに。02年から監督。松島幸太朗らを擁し10年度に、東福岡と花園で両校優勝。昨年度、99回大会決勝で御所実を23-14で下し、初の単独優勝を達成した。家族は妻と1男1女。