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今日の誕生日

セルゲイ・グリンコフ(1967年)→Pick Up!

後藤亜由美(1993年)

愛知県出身の女子シングル選手。09年全日本選手権8位、11年ガルデナスプリング杯2位など

須本光希(2001年)

大阪府出身の男子シングル選手。日本スケート連盟の20-21年シーズン強化選手A。

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Pick Up! セルゲイ・グリンコフ

史上最高のペア選手と称される、ロシアの男子スケーターが生まれた日です。

14歳の時、後に妻となる4歳下のエカテリーナ・ゴルデーワさんとペア結成。84-85年シーズンに世界ジュニア選手権で優勝し、シニアに転向1年目の翌85-86年には世界選手権も制しました。最年少でした。そこから2連覇。ソビエト連邦時代に出場した88年カルガリー五輪でも強さを発揮し、21歳の時に金メダルをつかみました。

89、90年の世界選手権で2度目の大会2連覇を達成した後、アマチュア引退。プロに転向します。米国のアイスショーで成功し、フロリダ州に自宅を買いました。「プロ生活は楽しい」と当時のグリンコフ。テクニックを磨くのに最高の場だったそうです。一方、プロの方が高いレベルにある自信を持ちながら、五輪には参加できない決まり。92年アルベールビル大会には出場できませんでした。

すると同年、国際スケート連盟(ISU)がルールを改正します。男子シングルのブライアン・ボイタノ選手(米国)らプロ選手と五輪への再出場を求めて活動し、プロのアマへの復権が容認されたのです。グリンコフさんはパートナーのゴルデーワさんと迷わず94年リレハンメル五輪を目指し、アマ復帰戦の93年スケートカナダで優勝。同年末のロシア選手権も勝って代表に返り咲きました。

本大会も、アルベール五輪で頂点に立った同じロシアのナタリア・ミシクチョノク、アルツール・ドミトリエフ組に勝ち、2度目の金メダル。レベルの高さを世界に証明しました。大会後は再びプロに転向し、世界最強ペアとしてアイスショーに出演し、行く先々で人気を博しました。

ところが、悲劇に見舞われました。95年11月20日。米ニューヨーク州レークプラシッドで夫人とショー演技の練習中、急死したのです。28歳の若さでした。「突然リンク上で倒れ、そのまま意識が戻らなかった」と当時の日刊スポーツ新聞社アトランタ支局は伝えています。翌21日、検視官が「重い心臓病による心臓まひ」と明らかにしました。

同年、世界フィギュアスケート殿堂入り。記録にも記憶にも残る選手として、短い生涯で、まばゆい光を放ったペアスケーターでした。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2020年12月28日
2020年12月28日

20年12月28日、演技する羽生結弦(代表撮影)。


今日の出来事

平昌五輪代表の坂本花織お守りパワー、増えれば増えるほど成績上昇(2018年)

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