北京オリンピック(五輪)の開幕まで1年を切った。3大会連続で五輪出場中のスキージャンプ男子の竹内択(33=チームtaku)は現在、企業チームに属さず、初めてフリーのプロ選手として4度目の大舞台を目指している。ジャンプ選手としては異例のスタイルを選択したのは、日本のジャンプ界を改革したいとの思いがあった。

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団体戦で銅メダルを獲得した14年ソチ五輪の大会前、竹内は全身の細い血管に炎症が生じるアレルギー性の難病「好酸球性多発血管炎性肉芽腫症」だと診断された。今も2カ月に1度のペースで注射を打つ。そうしないとぜんそくが出てしまう。

個人戦でもメダルが狙えるほど調子が良かった。しかし、大会1カ月ほど前に入院を余儀なくされピークを五輪に合わせることができなかった。「銅メダルのことよりも、病気をして万全で臨めなかった悔しさの方が勝ってしまった」。

意識が変わる。「ジャンプ界に貢献したい」。もちろん競技者として五輪でメダルは目指す。一方で、競技結果だけではないジャンプ界の発展にも力を注ぎたいと思うようになった。

平昌五輪後の18年6月、手始めに子どもたちの大会を企画した。だが当時は北野建設所属の企業選手。競技とのはざまで思うように計画が進まない。実際に8月に大会は開催したがスピード感と実効性を高めることの重要性を感じ、翌年5月、13年間所属した同社を退社しフリーになった。

「日本のジャンプ競技を変えたい」。残念ながら現在はエンターテインメントとして多くの集客を望める環境ではない。日本の多くの試合会場では「選手名の紹介→ジャンプ→距離・順位の発表」だけが場内のスピーカーからアナウンスされる。「友人に『試合があるから来てよ』とはなかなか言いづらい環境にある」と漏らす。

長年、転戦し続けた本場欧州は全く違った。DJがいて音楽がムードを盛り上げる。おいしいお酒や食事の露店が軒を連ね、日本の「toto」のようなスポーツくじで勝利選手の予想もできる。「お祭りと試合が合体している。最高の空間だった」。

文化が違う日本では無理なのか-。そうではない。竹内はそう信じている。実際、さまざまな五輪競技が商業効果を生み出そうと見せ方を変え、新たな「スポーツプレゼンテーション」を見いだそうと模索している。スポーツエンターテインメントの形は確実に変わってきている。日本のジャンプ大会も商業面で効果を生むものにすべきだと考えている。

「サマージャンプを活用してまず認知度を上げたい。突拍子もないと思われるかもしれないが、東京のど真ん中、お台場や沖縄のビーチなど『楽しい』と連想される場所に仮設のジャンプ台を設置してイベントをやってみたい。台のサイズは小さくてもいいんです」

それをきっかけに雪山の本場の大会に観客を誘導。新規の観客をがっかりさせないためにも新たな大会運営を模索する。大会形式も「国内戦の総合王者を決める仕組みがあってもいい」と、アイデアがあふれる。

憧れの対象になれば選手人口も増えレベルが上がり、世界で活躍する代表チームがつくれる。投資が集まれば強化費も増える。今季W杯メンバーからは漏れたが来年の北京五輪出場は諦めていない。「ジャンプは1シーズン違えば調子や実力が大きく変わる。逆転は全然ある」。ハード、ソフト面ともに日本ジャンプ界の総合力を上げるためにも、まずは4度目の五輪出場を虎視眈々(たんたん)と狙っている。【三須一紀】

○…石油製造、自動車関連企業のカナセキユニオン(横浜市)は竹内への支援を通じてアスリートへの新たな協賛方法を模索している。企業所属という形を取らず選手の特性を生かして企業、グループ内で啓発目的の講演会の実施や、引退後の正採用などを条件にスポンサードする仕組みだ。同社の大木崇氏は「企業が選手の活動を縛らず選手がやりたいことを支援できる。一方で会社としてはスポーツ選手の生きざまや努力の過程を社の人材開発に生かしたい思いがある。その両立ができれば」と話した。

◆最近の五輪競技のショーアップ 19年に創設された国際水泳リーグもその1つ。会場を暗転し、ライトアップする演出でこれまでにない迫力感を出し、試合形式もリーグ戦にして興行性を高めた。19年4月に広島で開催したアーバン(都市型)スポーツ大会「FISE」には3日間で約10万人の観客が詰め掛けた。スケートボード、自転車MBXなどの都市型スポーツは観客席は設けず、音楽、お酒、食事などを楽しみながら、好きな時に好きな競技を選手の間近で見られる。卓球もワールドツアーをWTT(ワールドテーブルテニス)という大会に移行し、賞金とエンターテインメント性を高めている。

◆竹内択(たけうち・たく)1987年(昭62)5月20日、長野・飯山市生まれ。飯山第一中を卒業後、03年からフィンランドに留学。06年に帰国後、北野建設入り。10年バンクーバー大会で五輪初出場。13年世界選手権の混合団体では金メダルを獲得。14年ソチ五輪の団体で銅メダル獲得。18年平昌五輪は団体6位。W杯の表彰台は4度(個人)。家族は妻新菜さん(32)、長男弾くん(4)、次男時くん(3)、三男唯くん(0)。175センチ、59キロ。