92年バルセロナ・オリンピック(五輪)柔道男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんが24日に亡くなった。生前、日刊スポーツで評論家を務めていただいた。柔道担当として、数々の「目からうろこ」の真実、厳しくもやさしい叱咤(しった)、そして思わず目を引く表現と、その語り口に触れることができた。その全てが、技同様に切れ味鋭かった。「持って投げる」という日本柔道の伝統を体現した男の、評論家としての多くの“1本”。その数々から、ぜひ読んでいただきたい、担当させていただいた回を集めました。全文掲載です。【構成=阿部健吾】

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<19年4月・全日本選手権>

無差別で争う日本一決定戦。17年世界選手権男子100キロ級王者のウルフ・アロンが初優勝を飾った。全試合を一本勝ち。準々決勝では王子谷剛志、準決勝では小川雄勢と、ともに100キロ超級の猛者を転がした。評論の焦点は「リズム」。各階級の戦い方の違いが、無差別の勝敗を左右するという視点をもらった。

 

「無差別で戦うからこそ、階級の相性が出てくる。ウルフ選手はその利点を最大限生かして戦った。超級の選手は超級同士の戦いのリズムがある。体力の減りも同様で、それが同階級なら問題にはならない。だが、無差別で下の階級、体力的には遜色がない100キロ級と組むと、組み手争いや技出しが速く、呼吸のリズムも崩されて体力消耗が速くなる。スタミナ自慢で1回の組み手で仕留める技があるウルフ選手にとっては、逆に自分のリズムも作りやすく、後半勝負という戦略を立てやすかった。

同時に、現在のルールをうまく利用していることも大きい。引き手で相手の袖口を持つが、以前は反則だった規則がいまは技を出せば許容されることになっている。ここを確保することで自分の組み手を作り、相手に重圧をかけることができている。

最後に、令和の全日本選手権には地方からの猛者の出現を期待したい。超級ではなく、90、81、73キロ級などの出場者が出れば、初戦からワクワクするようなカードがそろう。私が90年大会に中量級で出場し、決勝に進んだ時は非常に盛り上がっていただいた。無差別だからこその魅力が見られる令和の時代になってほしい」

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<16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級>

原沢久喜と、絶対王者テディ・リネールがあいまみえた決勝。指導2と指導1の差でリネールが五輪連覇を達成した試合を、あえて「残念」と言い切った。柔道界の未来のために。

 

「決勝戦は残念な試合だった。原沢選手は初戦から冷静に相手に合わせる組み手で落ち着いて試合を運べていた。一方のリネール選手は以前の強さがなくなって、技で勝つより組ませないで指導で勝つレベルに落ちていた。ですので、決勝は原沢選手につけいる隙があるとワクワクしていた。しかし、その内容はおもしろみに欠けたものだった。

リネール選手は道着をつかみにくる相手の道着を切って、切って、組ませないことを第一に考える。そこで指導をリードして、あとは逃げ切る事に終始した。いまのルール改正はしっかり組んで投げることを志向しているはずなのに、最も注目される五輪の100キロ超級の決勝戦で、技が出ない試合を見させられる。関心がなくなるだろうし、以前の面白くないと批判された時期に逆行しているようだった。持って投げる、柔道の原点を貫く日本柔道こそが、この手法を打破していく必要があるだろう」

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<16年リオデジャネイロ五輪男子73キロ級>

芸術家-。圧巻の試合運びで優勝した大野将平をそう称した。同じ中量級、講道学舎の出身。重なる素性、そして持って投げるという信念に、言葉はひときわ熱かった。

 

「大野選手はいわば芸術家です。今日は目の前の相手と戦っている意識はなかったと思う。自分がいままで積み上げてきたものを、自分の自信の作品を、自分が楽しみながら皆さんに披露していく。見ている側もいつ技がでるのかワクワクする。表現していくという意味では、1つの芸術の域に達していました。

五輪の時期がちょうど彼のピークにかみ合ったとも言える。私も92年バルセロナ五輪で金メダルを取ったときは24歳。若さの勢いに経験が上乗せされ、20代前半のピークで戦えた。これが4年に一度の五輪に合ったということが大きかった。前日までに金メダル候補が負ける場面が目立ったが、やはりタイミングは重要だとあらためて感じた。4年後の東京では、パワーやスピードではなく、経験を生かしたもう1つの作品ができあがるでしょう。楽しみです」

 

この時から5年。五輪2連覇がかかる前の訃報に際し、大野は「三四郎を目指す」と宣言した。評論で語られた期待はいまも生きている。