快勝で95年の歴史に幕を下ろした。来季からクラブチーム化するアイスホッケーの王子が、アジアリーグ・ジャパンカップ最終戦で横浜グリッツを9-0で下し、有終の美を飾った。

1926年に王子製紙の企業チームとして発足。全日本選手権最多37回の優勝を誇った名門が、来季から企業名を外し「レッドイーグルス北海道」として、苫小牧市を中心に活動していく。これで旧日本リーグ時代から活動してきた実業団チームはすべてなくなった。

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大量9得点で締めた。「王子」として最後の試合のスコアボードには、通常の「EAGLES」ではなく主催者の計らいで「OJI」と表記された。コロナ禍で中止となったアジアリーグの代替として、昨年10月から国内5チームで争った今大会。すでに優勝を決めているが、苫小牧市出身でOBの菅原宣宏監督(45)は最終戦を制し「気持ち良く終われて良かった」。同じく同市出身の山下敬史主将(33)は「小さいころから王子の赤いユニホームを見て育った。最後の試合のリンクに立てたことを誇りに思う」と感慨深げに話した。

大正15年に生まれた日本スポーツ界屈指の歴史を誇る実業団チームが、クラブチームへと生まれ変わる。昨年10月、クラブ化を表明。山下は「動揺はあった。王子の名前がなくなるのは残念」と言う。アイスホッケーの実業団チームは古河電工、雪印、西武鉄道、コクドなどがチーム運営から手を引き、19年には日本製紙が経営合理化のため廃部になった。「王子」消滅で、66年から04年まで続いた日本リーグをもり立ててきた実業団チームが、すべてなくなった。

新体制に向け着々と準備は始まっている。1月にクラブチーム化準備室を設置。4月には運営会社を立ち上げる。当面は王子ホールディングスの子会社となり、資金面など支援を受けるが、将来的には入場料やスポンサー契約などによる収入で、独立採算できる体制を目指す。準備室長には、王子の部長や苫小牧市体育協会会長も務めた竹俣一芳氏(61)が就任。同氏は「アイスホッケーにはポテンシャルがある。広くスポンサーを集めて、もう1度、競技の面白さを広められるようにしたい」と話した。

20~21年シーズンの登録25選手のうち社員選手18人は、クラブ化後も、会社に籍を残したまま選手活動を続ける。練習場も、引き続き白鳥王子アイスアリーナを使用していく。山下は「今までの伝統を受け継ぎながら、来季に向けてしっかり準備したい」。クラブ一丸で新たな航海に乗り出す。【永野高輔】

◆王子イーグルス 1926年(大15)王子製紙苫小牧工場職員による同好会「王子イーグル」として設立。31年に同好会から「王子製紙アイスホッケー部」に昇格。32年の全日本選手権で初出場初優勝(優勝37回)。66年に同年創設された日本リーグに参戦し、68~69年シーズンに初優勝(04年のリーグ廃止まで優勝13回)。03年から同年発足のアジアリーグ参戦。07~08年シーズン初優勝(優勝2回)。08~09年シーズンからチーム名を「王子イーグルス」に変更。ホームリンクは苫小牧市の白鳥王子アイスアリーナ。

○…苫小牧市の岩倉博文市長(71)が記念フェイスオフ前のあいさつで、王子のクラブチーム化に触れ、市としてもバックアップしていく方針を強調した。「この後、氷都苫小牧がトーンダウンしたら日本のアイスホッケーの歴史が途切れてしまう。アイスホッケータウンとして支えていきたい。これから、みんなで築いていく節目にしたい」と話した。