24日に53歳で死去した92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんの通夜が28日、川崎市内の寺院で営まれた。小雨が降る中、全日本柔道連盟の山下泰裕会長(63)ら柔道関係者ら約3000人が参列し、「平成の三四郎」との早過ぎる別れを惜しんだ。

同五輪95キロ超級銀メダルの小川直也氏(52)は「高校時代からの付き合いだから…言葉が出ない。『ばかやろー』って感じだよ。早えーよ」と、言葉を震わせながら無念さをにじませた。2月上旬に連絡した際には「すごく元気」で、快気祝いの約束やお見舞いにも行くと言ったら「お前の前じゃ、こんな体を見せられない。元気になるまで待ってくれ」と断られたという。

「最後まで俺の前では元気な姿を見せたかったのかな。強い稔彦でいたかったんだろうね。ずっとライバルだったけど、今はゆっくり休んでくれとしか言いようがない」

東京・世田谷学園出身の古賀さんとは同学年で、八王子高時代には、国体でともに活躍して東京都の優勝に貢献するなど“戦友”だった。90年全日本選手権では体重差54キロの古賀さんが決勝まで進出。小川氏と7分超の熱戦を繰り広げ、古賀さんは準優勝に終わったが、その激闘は今も伝説として語り継がれている。

「あいつがいるから今の自分がある。柔道の戦いだけでなく、常にいろいろな面で戦っていたのかもしれないね。現実、みんなの前で戦えたのは全日本だったが、俺も一生あの戦いは昨日のことのように思い出す。彼が死んでから高校時代の夢を見た。互いに当時の制服を着ていて…。かけがえのない友を失ったよ」

53歳の若さで旅立った柔道界のヒーローとの思い出を思い返した小川氏は、沈痛な面持ちで斎場を後にした。