女子バスケットボール・プレステージ・インターナショナル アランマーレ副部長を務める笹原友希さん(37)は、そり競技、スケルトン日本代表として2014年ソチ五輪に出場した経験を持つ。現在は10月のWリーグ開幕に向け、チームの運営、宣伝・広報役として多忙な日々を送っている。元アスリート、五輪代表として選手に伝えたいこと、チームの目標、アランマーレの魅力について聞いた。【取材・構成 浦部歩】

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-スケルトン現役引退後は何を

笹原 17年12月、18年平昌五輪がかかった全日本選手権で表彰台を逃した日に現役引退を決めました。その後、神奈川・茅ケ崎で働いていたのですが、コロナ禍になって自分の人生を見つめる時間が増えて、このあたりがいいタイミングかなと思い、地元の秋田に戻りました。

-秋田に戻ってすぐにアランマーレに

笹原 いや、すぐには就職活動はしないで、四国の八十八カ所参り(お遍路)をバイクで巡ることにしたんです。知り合いからアランマーレのフロントを探しているという電話があったのが、高野山で空海さん(弘法大使)に満願を報告した次の日でした。今思うと満願をし終わった時にいただいた話ですごくいいタイミングだったなと思います。

-副部長はどんなお仕事

笹原 まず1カ月ほど、山形にある同じアランマーレのバレーボールチームに帯同して、さまざまな業務を勉強しました。そして、帰ってきてから整合性の取れた資料作りをして、今年の1月から営業回り。おかげさまで30社ほどの企業様とパートナー契約を結んでいます。今は開幕が近づいてきて運営業務が中心です。チケットやポスターの作成や、県のバスケットボール協会との連係、お金の管理など多岐にわたります。

-チームの宣伝マンも担っています

笹原 現状はそうですね。立ち上げの今はフロントが何でもこなせなくてはいけないので、(元五輪選手の知名度を含め)チームの認知度アップのために自分をいいように使ってほしいと考えています。実際はそこまで高くもありませんが…。

-(元アスリート、五輪選手として)選手に伝えたいことは

笹原 私の経験上、結果が伴ってはじめてプロセスが評価されると思っています。だから(選手には)結果を絶対に出そうという話をしました。そして、バスケットはチーム競技なので、気遣いではなく気配りで、お互いに良い化学反応を起こしてほしいと思っています。

-何年がかりでここまで行きたいといった目標は

笹原 遅くても5年、早くて3年以内にプレーオフに行こうという目標があります。でも、今年は経験の年。現実的には、まず1勝を挙げたい。そして今後、東北で新しいWリーグ参入チームが現れるかもしれないので、東北といえばアランマーレという確固たる地位を築いていきたい。

-秋田ノーザンハピネッツとの連係は何か考えていますか

笹原 バスケットを盛り上げていく仲間だということで、お互いのSNSでフォローしたりしています。今後は試合の同時開催などもできたらいいなと。

-今年は参入初年度。いろんな意味で実験の年とも言えそうです

笹原 まだあまりよくわからない部分もあるので集客やファンの方に試合を楽しんでもらうアイデアはポンポン出るんですけど(笑い)。女子チームなので、女性目線のブースやサービスなども考えていきたいと思っています。

-アランマーレの何をファンの方に見てもらいたい

笹原 まずは、選手の執拗(しつよう)なまでのディフェンスを見てもらいたい。自分は一番最初にそれを見て感動したので…。そして、コートを離れた選手の素顔もみんな魅力的です。だから、そんな素顔にも触れていただく機会をつくって、憧れのお姉さんを応援してくれる子どもたちがいる、温かい目で見てくれるファンの方々がいる、そういうアットホームなチームにしたいと思います。アランマーレが1人1人の人生のプラスアルファになってくれたらいいですね。

◆笹原友希(ささはら・ゆうき) 1984年4月11日生まれ、秋田市出身。秋田中央高時代は、陸上・長距離の選手。仙台大でスケルトンと出合う。大学卒業後は、札幌の保険会社に就職し、競技を続行。13年からスケルトンチームがある長野市のシステックスに所属。13-14年シーズンに初めてスケルトンW杯代表に選ばれ、14年ソチ五輪に出場し22位。15-16年、16-17年インターコンチネンタルカップランキング(男子)7位。