フィギュアスケートのアイスダンスで転向2季目を迎えた高橋大輔(35=関大KFSC)が特別な思いを胸に、グランプリ(GP)シリーズ第4戦NHK杯(12~14日、東京・代々木第1体育館)から、22年北京五輪への道を歩み始める。5月14日に元関大理事長の森本靖一郎さんが88歳で死去。同大学のアイスアリーナを建設し、スケート界を支えた功労者だった。死去から半年を前に、オンラインインタビューで天国に誓いを立てた。

【取材・構成=松本航】

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その日、高橋は横浜アリーナにいた。主演を担うアイスショー。慌ただしく動き回っていた最中、ラウンジで関係者に止められた。「ごめん、ちょっと大事な話。森本先生が亡くなられた」。言葉が出なかった。

高橋 全く実感が湧かなかったです。88歳の年齢を忘れるぐらいパワフルで、ずっとお元気でしたし…。

16年前の05年、シングルで初の全日本王者となり、06年トリノ五輪出場を決めた年に関係性は深まった。高橋が関大1年だった04年秋に森本さんが大学の理事長に就任。武道に打ち込み、スケートには縁がない経営者だった。大会後の理事長室への報告が恒例になった。例年3月に行われる世界選手権後は、卒業や入学の季節。森本さんに「行くぞ!」と促され、別室モニターで式典を見守る保護者へ即興スピーチをしたこともあった。

高橋 1回、紙を持って話したら「持つな。自分の言葉でしゃべれ!」と言われて…。人の前で話すのが本当に嫌いだったんですが、鍛えられました。第一印象は「豪快」。そしてニコッと笑われるんです。「森本さんだし、やるしかないか…」ってなるんです。

促すだけでなく、自らも行動する人だった。森本さんの理事長就任と同時期の04年秋、関大がある大阪・高槻市の「O2スケートリンク」が閉鎖。大学進学を機に故郷の岡山から関西に来た高橋は、わずか半年で拠点を失った。他のリンクは滑走人数が飽和状態で、密度の濃い練習が難しかった。厳しい状況に胸を痛めた森本さんは、国内初となる大学のスケートリンク設置を決断。15人中14人が反対だった理事を説得し、高橋が3年になった06年夏に完成した。「みんながやらない時こそ、やる価値がある。今、造らないと日本のスケート界は滅亡する」。その持論を貫き、このリンクから宮原知子、紀平梨花ら多くの選手が飛躍した。

高橋 普通のリンクは日中、一般の方が滑る時間があります。選手としては、たくさんリンクがある海外のように、練習量を確保できる環境がありがたかったです。たとえ発想があっても、本当に実現させるのはすごく難しい。目標を持って先に進む。その勢いがあるから、あそこまでパワフルだったんだと思います。

情熱を引き出したのは、他ならぬ高橋だった。生前、森本さんはリンク建設にこだわり続けた理由を「高橋大輔が関大に来たっていうのが一番や」と明かした。高橋の真っすぐな人柄を愛し、応援してくれた。

08年には世界選手権で大学の卒業式を欠席すると、入学式に臨む新入生の前で、1人だけの卒業式を開いてくれた。14年ソチ五輪後に現役引退を決めると、ある日、突然「裸の付き合いだ~」と呼び出された。大阪市内の温泉施設「スパワールド世界の大温泉」では周囲を気にすることなく「あかすりもやれ」と促された。18年の現役復帰時は正式発表前に連絡を入れ「頑張れぇ!」と背中を押してくれた。人生の大先輩の豪快な振る舞いを思い返すと、決まって笑顔になる。

高橋 あんな“おじいちゃん”になりたい。人生を楽しんで、目標を持って、前に進む。僕自身も落ち着いちゃうんじゃなく、貪欲にできることを見つけながら過ごせば、あんな“パワフルじいちゃん”になれるのかなって思いますよね。

80歳を超えてもなお大阪府スケート連盟会長として、19年12月に開業した関空アイスアリーナの建設に尽力した。その施設は北京五輪を狙う強化選手の練習に活用されている。高橋は村元哉中(28=関大KFSC)とカップルを組み、転向2季目のアイスダンスで1枚の北京五輪切符をつかむ努力を重ねる。NHK杯には全日本選手権3連覇中の小松原美里、尊組(倉敷FSC)も出場。代表選考の大一番となる今年12月の同選手権(さいたまスーパーアリーナ)へ、今大会は試金石となる。高橋は表情を引き締めて、こう誓った。

高橋 今季は「全日本選手権で優勝」というのが大きな目標。「優勝」って言葉では言えるけれど、アイスダンス2年目で簡単にできると思っていません。でも、このチャレンジができることに喜びがあります。

「青春」という言葉をたびたび用いた森本さんも「挑戦」が似合う人だった。

高橋 実際に五輪に行けたら、森本さんはきっと、むちゃくちゃ喜んでくれる。実際に演技を見ることはできないけれど「コイツに目をかけて、俺の目は間違いじゃなかった」と思ってくれるような演技がしたいです。今までのように、会場のどこかで叫んでいるんじゃないですかね。「大ちゃん、頑張れ~」って…。

勝負の五輪シーズン、氷上に悔いは残さない。

◆高橋大輔(たかはし・だいすけ)1986年(昭61)3月16日、岡山・倉敷市生まれ。倉敷翠松高-関大。06年トリノ五輪8位、10年バンクーバー五輪銅メダル、世界選手権優勝。14年ソチ五輪で6位となり、同年10月に引退。18年に現役復帰。アイスダンスに転向。165センチ

執念で理事うなずかせ、関大にリンク建設―>