今季限りでの引退を表明している湯浅直樹(38=シーハイルアカデミー、札幌市出身)が、故郷北海道で最後の雄姿を見せた。道内ラストレースとなった男子回転は、1回目49秒01、2回目50秒04の合計1分39秒05で14位。06年トリノ・オリンピック(五輪)回転7位、ワールドカップ(W杯)では12年に3位に入るなど、度重なるけがを乗り越え世界に挑み続けた。最後も攻撃的な滑りで故郷の観衆を魅了した。引退レースは4月の野沢温泉カップ(長野)を予定している。
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1回目16位からの2回目。湯浅が小雪が舞うゴールに飛び込むと、暫定トップを示すファンファーレが鳴り響いた。両手を高らかと挙げて声援に応えると「ファンファーレを聞けるのはどんな大会でもうれしい。2日間2本ともゴールでき、アルペンスキーを楽しむことができた」。14位の結果にも満足そうに笑った。
故郷北海道ではこれがラストレース。2学年先輩でジュニア時代から覇を競った小樽双葉高の玉川祐介監督(40)がセッティングした57旗門をかみしめるように滑り切った。「朝里川は札幌テイネに次ぐ第2のホームゲレンデ。思い通りの滑りをさせてもらえない条件でしたが、憧れだった先輩のセットを滑れてうれしい」と感慨深げ。22日は大雪のなか長野から現地入り。前日23日には札幌商高時代のスキー部員約30人が会場を訪れ、サプライズ引退式が行われた。
五輪金メダル3つ、W杯50勝のアルベルト・トンバ(イタリア)に憧れ、背中を追い続けた競技人生に終止符を打つ。昨年12月に引退を決意。結婚10年目になる妻アスカさん(38)には「大変だったね。でも楽しかったね」と労われた。「重みのある2つの言葉で自分のすべてを表してくれた。思えば8歳で少年団に入ってすぐに左足を骨折し、最初からケガとの闘いでもあった。今は限界を突き詰めた闘いのキズだと受け止めている」。
北京五輪には愛弟子とも言える小山陽平(23=ベネフィット・ワン、小樽双葉高出)が出場。自身と同じく「憧れ」を強いモチベーションに世界と渡り合う後進があらわれた。「今のジュニアにはいい選手がたくさんいる。世界で戦える選手を育てていきたい」。4月の引退レース後は、指導者としてアルペン界を盛り上げていく。【奥村晶治】
<湯浅直樹(ゆあさ・なおき)アラカルト>
◆プロフィル 1983年(昭58)4月24日、札幌市生まれ。札幌琴似中-札幌商高(現北海学園札幌高)-北海道東海大(現東海大北海道)。8歳で競技を始め、高校3年の全国高校回転優勝。全日本選手権は回転で6度優勝。家族は夫人と1男1女。177センチ、74キロ。
◆五輪 初出場の06年トリノ大会回転で7位に入り、4位皆川賢太郎ととも50年ぶりの日本勢入賞を果たした。10年バンクーバー大会は代表漏れで一時は引退を示唆。14年ソチ、18年平昌大会は、ともに回転で2回目途中棄権。
◆世界選手権 05年から7大会連続で7度出場。11年ガルミッシュパルテンキルヘン大会回転で6位に入り、五輪と合わせ日本人2人目の2大大会入賞。
◆W杯 03年3月から19年1月まで計131戦に出場。トップ10は12度で、12年12月の回転第3戦(イタリア)で3位に入り日本人5人目の表彰台。
◆純国産 欧州製スキー板が主流のなか日本製にこだわった。中学3年で出会った国産ブランド「Hart(ハート)」で結果を出した。18年7月にオーストリアの「アトミック」と契約。
◆満身創痍 持病の腰痛は「滑れば滑るほど悪化」の状態で、12年のW杯初表彰台はスキー板をつえにして上がった。14年1月には右足首を骨折。「全治8週間」と言われながら手術し、約1カ月後の平昌五輪に出場。左膝は軟骨損傷など何度も故障し、19年10月に手術で人工関節を入れた。


