【トリノ(イタリア)=松本航】初出場でショートプログラム(SP)2位の三原舞依(23)が、初優勝を飾った。フリートップの133・59点で合計208・17点。1カ月の間に日本と欧州を2・5往復する日程で力を出し切り、18年紀平梨花以来、日本女子4人目の頂点に立った。世界女王でSP首位の坂本花織(ともにシスメックス)はフリー最下位となり、合計192・56点で5位。初出場の渡辺倫果(法大)は196・01点で4位に入った。

   ◇   ◇   ◇

三原の疲労は限界に近づいていた。6つのジャンプを降りた最終盤。右足を軸にする3回転ループが、2回転にとどまった。「いつ倒れてもおかしくなかった」。ステップを終えると、コーチから「頑張れ!」と聞こえた。片足を腰より高く上げ、長く滑りきる見せ場のロングスパイラル。事前にグレアム充子コーチに授かった「全身で強く、思い切って」という言葉が頭をよぎった。最後のスピンまでレベル4でそろえ、最終滑走の坂本の演技を経て優勝が決まった。

「中野先生から『1-1(2連勝)で来ているのは舞依だけ。ファイナルも狙っていこう』と言っていただいていた。本当に実現できると思いませんでした」

未知の歩みだった。11月2週目の第4戦英国大会から1週おきに第6戦フィンランド大会、今大会と続いた。1カ月の間に日本と欧州を2・5往復。3シーズン前は体調不良で全ての競技会を欠場し、今も心身の調整に細心の注意を払う。そこに時差との闘いも加わったが、しっかりと結果を示した。

原動力は周囲の支えだった。フィンランド大会のエキシビションが行われた11月27日。夕方に演技を終えると、真っ暗な氷点下の外に飛び出した。チーム宿舎の裏には、無料の屋外リンクがあった。ともに出場した河辺愛菜らと一般客に交じり、クルクルとスピンした。リンクのスタッフが笑顔で送り出してくれた。

「ステキなスケートを見せてくれて、ありがとう」

今大会、観客席に目を向けると「Mai」と記されたバナーが見えた。人の温かさに支えられ、滑りと結果で恩返しができた。

「スパイラルも『どの角度から見ても、美しく見えるように』と思っていました。たくさんの方のサポートがあるからこそ、私が成り立っていると思います」

また日本に戻り、今度は世界選手権(23年3月、埼玉)切符を懸けた全日本選手権(22日開幕、大阪)を迎える。声援を受け止め、また頑張る理由ができた。

◆三原舞依(みはら・まい)1999年(平11)8月22日、神戸市生まれ。小学2年で競技を始める。芦屋高-甲南大-甲南大大学院。15年ジュニアGPファイナルは6位。シニア1年目17歳の16年全日本選手権で3位。翌17年4大陸選手権で優勝し、世界選手権は5位入賞した。4大陸は22年も優勝。坂本と同じ中野園子、グレアム充子、川原星の各コーチに師事。けん玉が趣味。家族は両親と兄。156センチ。血液型A。

■SP首位 坂本まさか

SP首位の坂本が、まさかの失速で5位まで後退した。最終滑走のフリーで3回転ジャンプのミスが相次ぐ。序盤のルッツで着氷が乱れると、演技後半のフリップが2回転、得意のループすら1回転に。6人中6位の116・70点で合計192・56点となり「地に足がつかず、滑りが遅いなと感じていたら試合が終わっていた。今季2度も200点を割ってしまって」。昨季の世界選手権を236・09点で制した女王にとって信じられない結末だった。

不完全燃焼の練習がそのまま出た。「フリーはスピンなど抜かないと最後まで演じきれない時もあり、やる気がない日は、ないまま終わる日が習慣化してしまっていた」。続けたのは「さすがにまずい」。中野コーチの言葉も刺さった。「練習以上のものは出ないね」。受け止めて前へ。「やっぱり試合のためには苦しいことものみ込んでやるべき」と懸命に切り替えた。

■初出場 渡辺4位

SP4位の渡辺は総合も4位だった。初出場で銅メダルまで0・34点差、銀までも1・22点差と肉薄。冒頭の3回転半が成功しない状況は想定も「表彰台がちらついて、いつもと違った。(3回転)ルッツで転んでしまった」ことが明暗を分けた。ただ、底抜けの明るさで切り替え「SPでは初めて3回転半を降りて初70点台。そこからの悔しいフリーは全日本選手権で拭い去りたい」と燃えた。