明大が22-17で天理大に勝利し、96年度以来22大会ぶり13度目の復活優勝を果たした。ともに3トライずつを奪い合う激闘も、粘り強い防御でペースを握り、接戦を制した。チームの礎を築いた故北島忠治監督の指導の下、多くの名選手を輩出した伝統校も、同氏が亡くなった96年度大会以降は、低迷。就任1年目の田中澄憲監督(43)が再建を担い、平成最後の大会で、王座返り咲きに成功した。

強い明大が帰ってきた。5点リードで迎えたラストワンプレー。自陣で天理大の攻撃を突き刺さるようなタックルでしのぐと、たまらず相手が落球。その瞬間に、ベンチにいた選手がコートを脱ぎ捨てピッチになだれ込んだ。白と紫の旗が揺れる超満員の会場で、紫紺のジャージーが雄たけびとともに喜びを爆発。22年ぶりの復活Vに田中監督は「部員126人の努力が最高の形で表れた。本当にうれしい」とほおを緩めた。

準備が、勝利につながった。春、夏の練習試合で敗れた天理大の動きを、メンバー外の4年生が中心となり関西リーグから徹底的に分析。天理大の武器であるスクラムで真っ向勝負を展開すれば、ラインアウトでは何度も相手ボールを奪い、ペースを握った。昨季の決勝で1点差で涙をのんだSH福田主将は「あの悔しさから1年間積み上げてきたものが出せた。全員の力で勝てた」と胸を張った。

最後に優勝した96年度に北島監督が死去。柱を亡くしたチームは、そこから低迷の一途をたどった。「明治」の看板に憧れ、有望選手は集まるも、大学選手権にさえ進めない年もあるなど、「才能の墓場」とやゆされることもあった。13年に就任した丹羽前監督は「紫紺のジャージーが寮の床に落ちていたり、倉庫もゴミだらけ。勝てない理由があった」と乱れたチームを振り返った。

丹羽監督の意を受け継ぎ、再建を託されたのが、96年の優勝をピッチで経験した田中監督だった。強豪サントリーでチームディレクターを務めた指揮官は「才能だけで勝てる時代ではないし、そもそも正しい努力をしていない」と指摘。外国人選手にも負けない体作りをテーマに掲げ、週5回のウエートトレーニングで、一から鍛え直した。

そして、何より大事にしたのが「戦う集団にする」ことだった。寝癖のまま練習に来た選手は寮に帰らせ、ウエートルームで重りを片付けなかった選手には、片付いた状態と、散らかった状態の2枚の写真を見せ、「どっちが日本一を目指すチームだ?」と問うた。これまであった「副主将」のポジションも廃止。リーダー9人を置き、下級生からの声も吸い上げながら、チーム全体の方向性を決める組織に作り直した。

試合直前のミーティングで、福田主将は涙ながらに言った。「紫紺のジャージーを着ることを誇りに戦おう」。その言葉通り、誇らしく、そして泥臭く体を張り、勝利をつかんだ。会見を終えた田中監督はしみじみ言った。「良いチームになった」。生まれ変わった明大が、主役の座を奪い返した。【奥山将志】