<柔道:世界選手権>◇27日◇女子52キロ級◇オランダ・ロッテルダム

 【ロッテルダム=佐々木一郎】女子52キロ級の中村美里(20=三井住友海上)が、金メダルを獲得した。決勝は北京五輪48キロ級銀メダルのベルモイ(キューバ)から大外刈りで技ありを奪い、優勢勝ちした。5試合で1本勝ちはなかったが、相手にポイントを与えない柔道を展開。7月中旬に左ひざを負傷し、得意の足技のキレを欠きながらも、しぶとく勝ち抜いた。北京五輪は銅メダルで悔し涙を流したが、1年後の世界舞台で頂点に立った。

 勝負師の顔は、試合が終わっても変わらなかった。金メダルにも、中村は笑わない。表彰式後、カメラマンに促されて、やっと表情を和らげた。あまりに、淡々とした様子を突っ込まれると「よく言われます。自分の中では喜んでても、顔に出てこない。引きつっちゃう。君が代を聴いている時は、良かったなと思いました」と小声で言った。

 派手に勝ち上がったわけでない。初戦の2回戦から、3回戦、準々決勝と優勢勝ち。準決勝は相手に指導が4度も出て、反則勝ちした。決勝のベルモイ(キューバ)戦も、3分35秒すぎに大外刈りで技ありを奪っての、優勢勝ちだった。

 7月中旬のスペイン合宿で左ひざの前十字靱帯(じんたい)を損傷。全治5、6週間の重傷だった。この影響で得意の足技が減った。ならばと珍しく背負い投げでポイントを取り「びっくりしました」と振り返る場面もあったほど。全日本女子の徳野コーチは「あそこで背負いに行くのもすごい。ヒザが痛いはずなのに、思い切りよくいった」と振り返った。ケガを言い訳にできない日本柔道界の精神は、20歳の中村に脈々と受け継がれていた。

 北京五輪の銅メダルに泣き、本格的な筋トレに着手。所属先の柳沢監督が発明した「綱引きマシン」などを使って肉体を鍛え上げた。平常時では2、3キロ増となり、TシャツのサイズはSSからSサイズにアップ。上半身がたくましくなった。「北京五輪の時は52キロ級の体になっていなかった。それに比べて力も技も成長した」。この努力が、ヒザの故障をカバーした。

 過去の栄光にはすがらない。「北京五輪の銅メダルは自宅のCDの前に置いてある。特に見ることもありません」。世界選手権の優勝にも満足しない。「どの国際大会も世界選手権も戦う人はだいたい同じ。でも、五輪は特別。五輪の悔しさは五輪でしかはらせないと思います」と中村。笑わず、淡々と、ケガを言い訳にせず、そして勝つ。日本の柔道家らしく、初優勝を飾ってみせた。