目の前には広大な畑が広がっていた。なのに…。立命大当時を振り返った時、阪神の藤原正典投手(27)には後悔があるという。「どこの大学にもキャリアサポートセンターがありますよね。みんな2回生になると頻繁に通い始めるのに、僕は全然で…」と苦笑いで振り返る。

 「種はまいた分しか刈り取れない」

 座右の銘だ。大学時代、畑に種をまけたのか? 答えは否だ。体育会所属の学生は部活動に追われ、資格取得や就職活動に本腰を入れづらい傾向にある。「希望通りプロに入れなかったら、どうなっていたか…。もっと動いていれば、こんな仕事もあるんだと、将来の選択肢が広がったかもしれないのに」。同じ失敗をしてほしくない。そんな思いから藤原は今、大学職員への転職を目指している。

 阪神時代は中継ぎとして期待をかけられながら、6年間で1軍通算58試合登板どまり。15年秋、支配下登録選手から育成選手への変更を通告された。ひと晩悩んだ末、退団を決めた。

 「クビをかけた勝負の1年。0か100かだと思っていたので。肩肘や体にケガがないのに育成選手になるのは、延命措置に過ぎないと思ったんです」

 11月の合同トライアウトでは打者3人から2奪三振の完全投球。パドレスからトライアウト受験に誘われ、独立リーグからの話もあった。まだ27歳。新たな夢が描かれていなければ、野球を続けていただろう。

 「僕は大学1、2年生の時、プロは不可能だと言われていた選手。野球しか知らないのに大学職員は無理だと言う人もいるけど、もう1回、不可能と思われることに挑戦したいんです」

 人気が高い大学職員採用は狭き門。それでも夢を追う。12月下旬には愛妻、1歳5カ月の長女と1週間のハワイ旅行を楽しんだ。「今まで支えてくれてありがとう、という気持ちを込めました」。ケジメの儀式を終え、人生の第2章に足を踏み入れる。【佐井陽介】

 ◆藤原正典(ふじはら・まさのり)1988年(昭63)1月14日、岐阜県生まれ。県岐阜商から立命大を経て、09年ドラフト2位で阪神入団。1年目の10年は中継ぎで24試合に登板し、1勝0敗、防御率3・60。2年目以降は徐々に出番を失い、14年以降の2年間は1軍出場ゼロ。1軍通算58試合で1勝0敗、4ホールド、防御率3・12。182センチ、83キロ。左投げ左打ち。