プレーバック日刊スポーツ! 過去の6月12日付紙面を振り返ります。1992年の1面(東京版)は阪神金森のサヨナラ安打でした。

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<阪神1-0中日>◇1992年6月11日◇甲子園

 阪神サヨナラ、首位奪回!! それもベテラン金森だ。カメだ、ヤギだと騒がしい阪神“動物園”で、牛歩のごとくドン臭い? 金森が見せてくれたよ、9回サヨナラ。1死満塁で代打。ここで快打が男の意地。投げては出場登録即先発の抜てき島尾が力投で、ガッチリ田村が4勝目。ベテラン、ヤングがかみ合って今日も阪神、トラ、トラ、トラ!!

 奇跡の予感だ。3万2000人観衆の後押しだ。あらしが起こる前触れはあった。マンモスがどよめく。三塁側ベンチが森田を告げに出た時、既に中村監督の腹は決まっていた。「代打金森」。亀山の送りバントなどでつくった9回1死満塁。173センチの小柄な男は、初球ストレートをファウルした後の2球目。プロ11年目のベテランの「球種は全部頭に入っていたから」と言うしたたかな“読み”が、森田のスライダーを待った。とらえた打球が、前進守備の中日内野陣をあざ笑うかのように、センター前に跳ねた。

 「最後に残ってるメンバーを見たら、僕の番だなと思ってました。何も大きな仕事はしてませんよ。みんながつくったチャンスをモノにしただけです。島尾がよく投げて、バックが守って、田村が抑えた……若い選手が頑張ってましたからね」。

 一塁側ベンチから飛び出したナインを追った中村監督は、早大の後輩を近くまで迎えに出てガッチリ握手だ。「使ってくれた監督に感謝したいです」と、お礼の言葉を述べたヒーローを土壇場で抜てきしたことに「彼も努力してる。昼過ぎから出て来て打ち込む姿を僕も見てますから」と中村監督も持ち上げた。この日も、自分が打ち終えた後で、エンジンのかからない若手の八木に対して、三塁室内で“打撃投手”を務めた姿を指揮官はしっかりと把握していたのだ。

 1985年(昭60)阪神V。この時、金森は「ドン亀」の愛称で西武ベンチにいた。グラウンド上なら最強を誇るレオ軍団も、次々と頭上を越え、スタンドインする阪神の一発攻勢に屈辱の敗退を喫した。「野球が変わるかもしれない」。金森の予感は当たらなかったが、その自分が今、阪神の一員としてVへ猛進する。「役に立てれば……」は実感だろう。

 そして今季4度目のサヨナラ劇の発端は、指揮官の決断だった。それはトラの“おきて”を破ること。0―0で迎えた9回表。中西を前日の同カードで起用していることもあった。中村監督が今シーズン初めて、リードしている場面でしか使わないはずのサウスポー田村を、同点の場面で投入したのだ。中村監督に“再出発”の指名を受けたサウスポーが、落合を四球で歩かせたものの、続くパウエル(併殺)大豊を片付けて4個目の白星を手に入れた。

 最後「これでまたやれるなという気持ちになった」と言った金森が“全員野球”を強調した。「ここまできたのは若い力があるから。足りない分は僕らがカバーすればいいんです」。そして「あそこは後に引けないでしょ」と語って田村をつぎ込んだ中村監督。あの85年Vと同じペースの観客100万人を記録。猛虎がファンの後押しを受けて「追い風」に乗る。

▼阪神がサヨナラ勝ちを収め、再び首位に立った。サヨナラ勝ちは4月29日対ヤクルト戦、5月6日対巨人戦、同27日対大洋戦に次いで今季4度目。現時点でサヨナラ勝ちを4度もマークしているのは、12球団で阪神だけ。この日は島尾―田村のリレーで中日打線を完封し、チーム防御率は2.97と、ついに2点台に。阪神の防御率は4月3.31→5月3.08→6月1.83と、だんだん良くなる一方だ。

※記録や表記は当時のもの