<横浜7-1中日>◇12日◇横浜

 男村田が本塁打王争いのトップに浮上した。横浜村田修一内野手(27)が中日戦で2打席連続の36、37号を放ち、巨人ラミレスに並んだ。精彩を欠いた北京五輪の悔しさを晴らすかのように、五輪後は16試合で7本と量産態勢に入っている。日本人選手で2年連続本塁打王になればセ・リーグでは91年の中日落合以来17年ぶりになる。

 打った瞬間、それと分かる当たりに、村田はゆっくりと歩き始めた。2-1で迎えた5回無死二塁、フルカウントから中日清水昭のスライダーを振り抜いた。左翼席上段に飛び込む125メートル弾。「ノースリーになったので歩かされるかと思いましたが、勝負してくれた。ごちそうさまです」とニヤリ。パワーに読みが加わった。カウント0-3から2球、直球が続き、「3球、直球はないだろうというのもあった」。直後、前の打席で打ち損じたスライダーを仕留めた。7回は「詰まった」が、平井のフォークを左中間へ。手がつけられなかった。

 36、37号と2連発。1本差で追っていたリーグトップの巨人ラミレスに並んだ。北京五輪では本来のプレーができず、メダルも逃した。帰国後、ファンの強烈なヤジにもあった。「また日の丸を背負えるように頑張りたい」と、悔しさも糧にバットを振っている。

 37号には2つの意味がある。初タイトルをとった昨季の自己最多36本を塗り替えた。もう1つは“師匠超え”。新人だった03年、打撃コーチとして最初に接したのが現湘南の田代監督だ。現役時、同じ右の長距離打者だった田代監督の自己最多が36本。くしくも、村田が生まれた80年に記録した。その田代監督は「びっくりしたよ。力の抜き方を覚えたね。ボールをしっかり見逃せている」と愛弟子の成長に目を細めた。弟子は「田代さんの36本?

 知ってますよ。あとで電話しておきます。次は多村さん(現ソフトバンク。04年に40本塁打)を超えます」と力強い。このまま、球団史に名を残す勢いだ。

 大矢監督は「タイトルは40を超える争いになるでしょう」と予言した。村田は「去年みたいに本塁打を狙って打率を下げることはしたくない」。昨季以上のハイレベルな争いを、楽しんでいる。【古川真弥】