阪急、近鉄を強豪チームに育て上げた西本幸雄氏が25日、心不全のため、兵庫・宝塚市内の自宅で死去した。91歳だった。

 やはり……。所用で仙台に滞在していた前日本ハム監督の梨田昌孝氏(58)は、師の訃報を聞き、神妙な表情を浮かべた。「日本シリーズが終わるのを待って、シリーズを楽しんで亡くなられたんだと思います」と言葉を絞り出した。

 10月22日、梨田氏は自宅で療養する西本幸雄氏を見舞った。ベッドに横たわる同氏の両手を握り「クライマックスシリーズを突破して日本シリーズでも勝ちます。見守っていてください」と誓った。手は冷たく、梨田氏の目頭は熱くなった。何としてもの誓いはむなしく、CS第1ステージで西武に敗れた。そして、かけがえのない恩人を失った。

 梨田氏にとって、ただの恩師ではなかった。中学3年生の時に、実父・豊氏が死去。西本氏が近鉄の監督に就任した時は、入団3年目、20歳だった。「2人目の父親」。キャンプではグラウンドの猛練習だけではなく、夜間の宿舎では畳がすり切れるくらいバットスイングを課された。ビンタも浴びた。回し蹴りも食らった。それでも、西本氏の情熱にひかれる一方だった。

 西京極でのゲームだったか。キャッチャーフライを追いベンチに突進したら、西本監督はバットケースの前で身をていして守ってくれた。「何と選手のことを思ってくれる人か、と。今も忘れられない」。

 西本氏がユニホームを脱いでも毎年、ゴルフや会食をしてきた。だが、そんな「親孝行」も、もうできない。「一番、尊敬できる方だった。いい方に巡り会えて幸福だった。あの世でもまた野球を教えてもらうつもりです」と、惜別の言葉を送った。