通算213勝を挙げて殿堂入りした北別府学氏(54)は、津田氏との同時選出を喜んだ。また、特別表彰では、学生野球の発展に貢献した故長船騏郎氏と、バットの安全性を高める研究に従事した故大本修氏が選ばれ、殿堂入りは計177人となった。

 広島全盛期を支えた北別府氏は都内の野球殿堂ホールで行われた記者発表に出席し、亡き“弟”に思いをはせた。津田氏との殿堂入りを喜び、その津田氏が隣にいないことの無念を口にした。

 「僕より若い津田が、ここに来ていたらもっとうれしかった。スカウトも同じで、弟みたいな付き合いをしていた。200勝したけど、たくさん助けられた投手。今日、元気でいれば祝杯をあげたと思います」

 ベストゲームに挙げたのは「2人が輝いていた年」という86年の最終戦。10月12日ヤクルト戦は勝てばリーグ優勝が決まる一戦だった。北別府は8回を3失点に抑え5点リードで津田にマウンドを譲った。「最後は津田に締めてもらいたい」と公言していた。18勝して沢村賞、MVPに輝いたシーズンだったが、前半戦は6勝止まり。不調時にチームを支えた津田に「主役」を譲った。結局、北別府が生涯で胴上げ投手になることは1度もなかった。

 「現役をやめて20年ぐらいになりますけど、久しぶりに完封してヒーローになった気分です」

 実働19年で213の勝ち星を挙げ、28度のシャットアウト劇を演じた。「精密機械」が無数のフラッシュを浴び、顔を赤らめた。【鎌田真一郎】

 ◆北別府学(きたべっぷ・まなぶ)1957年(昭32)7月12日、鹿児島県生まれ。都城農(宮崎)から75年ドラフト1位で広島入り。絶妙な制球力を武器に入団2年目から1軍に定着し、78~88年に11年連続2ケタ勝利をマーク。82、86年に最優秀投手、最多勝、ベストナイン、沢村賞。86年は最優秀防御率、ゴールデングラブも獲得、最優秀選手に選ばれた。92年に広島初の通算200勝達成。94年引退。通算515試合、213勝141敗5セーブ、防御率3・67。引退後は01~04年に広島投手コーチを務めた。現役当時は181センチ、85キロ。右投げ右打ち。