<西武1-0DeNA>◇4日◇西武ドーム

 西武が4日、DeNA2回戦の試合後に緊急会見を開き、今季から就任した伊原春樹監督(65)が無期限休養すると発表した。残りシーズンは田辺徳雄打撃コーチ(48)が代行監督を務める。前日3日のDeNA戦後に伊原監督から居郷球団社長に、成績不振を主な理由として「休養したい」との申し出があり、球団側は慰留するも最終的に承諾した。

 伊原監督が掲げた「常勝軍団復活」への挑戦は、突然、終わりの時を迎えた。試合後、居郷球団社長とともに会見に出席。落ち着いた表情で「本日をもって、明日から休養を願い出て承諾いただいた。借金をなんとか1ケタにと目標を立ててやってきたが、なかなか…。どうしたらいいのか。1度、ここは監督が引いて、引くがために(チームに)いい風が吹くのではないかと思いました」と説明した。復帰の可能性については「ちょっと難しいでしょう」と事実上の辞任の意向を示した。

 交流戦2戦目の5月21日巨人戦での敗戦が、決断の引き金だった。土壇場の9回に2点を逆転され「九分九厘勝てると思っていた。監督に勝負運がなければ、選手にも伝染する」と察し、「交流戦でひと当たりしてからにしようと思った」。この日の勝利で12球団で最も遅い20勝目をようやくマークしたが、借金13で最下位低迷が続く現状に決断は変わらなかった。

 2度目の監督就任も伊原イズムが浸透しきれなかった。秋季練習初日に西武鉄道の初乗り運賃を選手たちに問うた。「知らないのは恥ずかしいこと。我々は西武ホールディングスの中の西武ライオンズなんですから」と伊原節で指南。茶髪、ひげの禁止、ユニホームのズボンの裾を上げることをルール化するなど、規律を重んじた。常勝復活を目指し、不動心で臨んだが「普通にやれば優勝できると宣言したにもかかわらず、ファンの期待を裏切った」とファンへの謝意を込めた。

 伊原監督の無期限休養を受け、残りシーズンは田辺打撃コーチが代行監督に就任し、巻き返しを図る。同代行監督は「昨日は急だったので頭が白くなった。考えてもいなかったことなので」と唐突な“監督交代劇”に動揺しつつも、「最近の戦い方としては、投打がしっかりとしてきた。当面の目標は5割を目指して戦っていこうと思う」と表情を引き締めた。残り91試合。13度の日本一、21度のリーグ優勝を誇る西武が巻き返しに向け、最後の一手を打った。【為田聡史】

 ◆伊原春樹(いはら・はるき)1949年(昭24)1月18日生まれ。広島県出身。北川工(現府中東)-芝浦工大を経て70年ドラフト2位で西鉄入団。内野手。76年巨人移籍。78年クラウンに復帰し、80年引退。通算450試合、打率2割4分1厘、12本塁打。引退後は西武、阪神でコーチを務め、西武監督就任1年目の02年にリーグ優勝。03年に退団し、04年オリックス監督就任。近鉄との合併が持ち上がり同年限りで退団。07~10年巨人コーチ。13年オフに西武監督に復帰。

 ◆監督就任、復帰1年目の途中交代

 最近では84年6月27日に植村義信監督(日本ハム)が67試合で解任された。68年大下弘監督(東映)は8月に最下位の責任をとって休養。そのまま辞任した。55年岸一郎監督(阪神)は33試合で休養となり、退団に。59年千葉茂監督(近鉄)同年戸倉勝城監督(阪急)は途中交代も、翌年は監督に復帰した。杉下茂監督は66年8月に阪神で辞任、68年6月に中日で解任となった。75年4月のルーツ監督(広島)は15試合で辞任。西武でシーズン途中の監督交代は、69年10月に監督8年目の中西太選手兼任監督が辞任して以来45年ぶり。就任1年目では初めて。