孤高のバットマンが引き際を口にした。DeNAから戦力外通告を受けた中村紀洋内野手(41)が28日、去就期限は年内をメドに設定し、“引退”も覚悟していることを明かした。静岡・伊豆の国市で行われた選手会ゴルフに出席し、NPB球団から現在までオファーがない状況を説明。現役続行に意欲を燃やし、兵庫県内の自宅などでトレーニングを続けているものの、年内いっぱいで進退を定める意向を示唆した。

 通算2101安打、404本塁打を放った中村が引退を視野に入れた。戦力外通告を受けてから1カ月以上が経過したが、他球団からオファーはない。厳しい現実を突きつけられた41歳は、「(3人の)子供たちが『もう1度ユニホーム姿を見たい』と言っている。オファーを待つしかない」と現役続行への可能性を信じた。ただ、過去2度経験した浪人生活とは性格が異なる。「前みたいにはいかない。家族がいるからね」。一家の大黒柱として、第2の人生も探っていることを明かした。

 区切りのメドは年内と決めている。現在は自宅付近でのランニングや、バッティングセンターで汗を流す。しかし、これまでのオフより練習量は落としている様子。さらに年明けの予定も「未定」とし、トレーニングについては「気の向くまま」とさらにペースを落とす可能性を口にした。海外や独立リーグでのプレーも考えていない。年内にNPB球団から獲得打診がなければ、ユニホームを脱ぐことも考えている。

 それでも記録達成のため、現役への未練はある。通算満塁本塁打14本は歴代2位。あと1本でソフトバンク王球団会長が持つ日本記録に並ぶ。名球会入り後は、「この記録に並びたい」とこだわってきた数字だ。

 ここまでトライアウトを受けずにオファーを待ったが、状況は厳しい。今季は5月6日の巨人戦(東京ドーム)で采配批判と取られる言動により2軍落ちし、1軍出場はわずか13試合。本塁打もゼロに終わった。「今年はファーム生活が長かったけど、1軍に上がったときは、自分のプレーはできた」と自信は失っていないが、積み重ねた年齢とともに、取り巻く環境は険しさを増している。新外国人の補強など、各球団の来季戦力構想も固まる時期にきている。日米6球団を渡り歩いたスラッガーは祈るような気持ちで、ラストチャンスを待つ。【細江純平】

 ◆中村紀洋(なかむら・のりひろ)1973年(昭48)7月24日、大阪府生まれ。渋谷(大阪)2年夏に甲子園出場。91年ドラフト4位で近鉄入団。三塁手でベストナイン5度、ゴールデングラブ賞7度。01年に最高出塁率。球宴出場9度。サヨナラ本塁打10本は歴代3位。180センチ、93キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と3女。今季推定年俸は5000万円。

 ◆近鉄生き残り

 中村を除いて近鉄在籍経験のある現役選手は、投手の岩隈久志(マリナーズ)香月良太(巨人)近藤一樹(オリックス)捕手の藤井彰人(阪神)内野手の山崎浩司(楽天)坂克彦(阪神)外野手の牧田明久(楽天)坂口智隆(オリックス)の8人。このうち01年の日本シリーズに出場していたのは岩隈と藤井だけ。<いろいろありました>

 ◆初FA

 02年オフに「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」とFA宣言。巨人、阪神、メッツと交渉。巨人渡辺オーナーの「茶髪嫌い」を知りながら金髪で巨人と交渉。メッツ移籍の意思を固めるも、米国での報道先行などを理由に近鉄残留。

 ◆ポスティング

 オリックスとの合併で近鉄球団が消滅することを受け、05年2月に入札制度でドジャースに移籍。メジャーでは17試合出場に終わった。

 ◆日本復帰

 06年にオリックス移籍。左手首の「公傷」を巡り球団と対立し、契約更改交渉がまとまらず1年で退団。

 ◆テスト生

 07年はテスト生として中日キャンプに参加。育成選手として年俸400万円で契約し、開幕直前に支配下選手契約。日本シリーズではMVP。

 ◆2度目FA

 08年オフに複数年を望むも単年契約を提示され、2度目のFA宣言。楽天と2年契約。

 ◆5月入団

 10年オフに楽天を戦力外。バッティングセンターでの練習など浪人生活を経て、交流戦期間中の11年5月に横浜(現DeNA)入団。

 ◆采配批判

 12年8月に自身の打席中に二盗を決めた選手をベンチで叱責(しっせき)。首脳陣への采配批判とされ、2軍に降格。今年5月にも、首脳陣への要望が采配批判に取られ、2軍に懲罰降格となった。