新日本プロレスに、新チャンピオンが誕生した。4月10日、両国国技館でオカダ・カズチカを倒しIWGPヘビー級王者となったのはロスインゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)の内藤哲也(35)だった。11年の棚橋弘至から5年間、オカダとAJスタイルズの3人で回してきた? タイトル戦線に、内藤が風穴を開けた。

 LIJは、15年5月に内藤がメキシコ遠征した際に、同国のレスラー、ラ・ソンブラに誘われ加入したユニットの名前。「制御不能」という名のユニットを日本に持ち帰ってから、内藤の運命は変わった。やる気のない行動、相手を侮辱する態度、レフェリーやテレビクルーへの暴行と、まさに制御不能を地でいく行動に、最初はどこの会場でもブーイングの嵐だった。

 しかし、内藤のこの行動が徐々にファンに支持され、内藤コールが起こるようになった。そして、今年3月、青森で行われたニュージャパンカップの決勝。会場はLIJの帽子とTシャツ姿のファンがあふれ、優勝した内藤は大歓声で迎えられた。メキシコ遠征前には、何をやってもブーイングを受けていた内藤が、たった1年でブーイングを歓声に変えた。

 内藤 今までは、リングに立ってお客さんが何を求めるか、どうしたら喜んでくれるかを考えながらプロレスをやってきた。でも、メキシコでソンブラたちがやってたプロレスは、自分たちが思い描くものをリングで見せて、結果お客さんが喜んでくれるというものだった。彼らは逆をやってた。あくまでも、自分がどう楽しむか。その結果をお客さんに見てもらおう、そう考えるようになったら吹っ切れた。

 内藤は過去にCHAOSでヒールとなり、その後正規軍ではベビーフェイスとして棚橋のようなエースを目指していた。しかし、そのどちらもが中途半端で、ファンからブーイングを浴びる結果となった。LIJもそのスタイルからはヒールの分類に入りそうだが、内藤は「ベビーとヒールとLIJ。新日本にはこの3つがある。ベビーかヒールかの2択で捉えられたくない。LIJは新しいジャンル」という。これまでのプロレスの秩序さえ崩してしまうようなLIJのパフォーマンスは、ファンの支持を拡大している。

 09年、初めてメキシコ遠征が決まった時、内藤は最初は拒否したという。「海外は怖いイメージがあって、お願いだからやめてくれ、って感じだった」という。嫌々行った遠征で、内藤の代名詞となった2本の指で目を見開くポーズが生まれた。「メキシコの人たちからアジア人は目が開いてるかどうか分からないと細い目をバカにされてたから、入場の際に『オレの目は開いてるぞ』とやったら大受けだった。そのうち子どもたちがまねしだした」。

 2度目のメキシコ遠征で内藤の人生は変わった。デビュー10年目のIWGPヘビー級王座戴冠は、決して順調な出世とは言えない。「まさか、こんなにメキシコが転機になるとは思わなかった」としみじみと語る。今や決めぜりふとなった「トランキーロ(焦るな)」は、内藤自身への戒めとも励ましの声とも聞こえる。新日本の16年上半期は、内藤が間違いなく団体を引っ張っている。棚橋、オカダのように、時代をつくる存在となっていくのか。内藤哲也の今後が楽しみだ。【プロレス担当=桝田朗】