ボクシングにも「道」がある。


 10月末まで4年間担当した柔道は、その競技名にすでに「道」があった。剣道などの武道も同じで、競技の勝敗以上にその競技性が求める理念があるということ。それは華道などの非武道にも通底する。柔道で言うならば、始祖嘉納治五郎が掲げた「自他共栄」「精力善用」の精神になる。

 「自他共栄」は自分も他人も幸せにすることで、人間は意味がある。そして「精力善用」は自分の力を社会を良くする方向に用いること。そのためには何をしたら効果があるのかを考えて実践する思考力、行動力を養うために、柔道に励むことが根幹にある。

 そのためにまず何をするべきか、何が欠かせないか。柔道男子監督の井上康生氏は一時期、代表選手たちにこう問い掛けることを徹底していた。「『すっ』って何だ?」。付き合いが長くなれば、自然と互いのあいさつも簡略化される。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れさまです」などの日常会話が省略されたのが「すっ」。監督と選手という立場の距離感の問題と言うよりは、人と人とのコミュニケーションとして問題視した。なにより、「自他共栄」を目指す柔道選手に至って、あいさつをしっかりできないのでは、話にならない。手本となる代表選手たちだからこそ、あえて井上監督は根本を問い続けた。

 

 そんな記憶を思い起こしたのは、11月からボクシング担当としてジム通いを始めて、どこでもしっかりとしたあいさつに出合うからだ。4回戦から世界王者まで、ジムの端の方から練習を眺める記者にわざわざ近づき、「お疲れさまです」と頭を下げてくれる。観察していると、入退時にはトレーナー、マネジャー、先輩、後輩に歩を向けて、何度もそんな声が響く。それはすがすがしい光景だ。そして、そこには「道」があると感じた。あるトレーナーは「相手を殴る競技だからこそ、相手を敬うという基本的なことは徹底させている」と教えてくれた。

 なかでも最も印象的な出来事は、4階級王者ローマン・ゴンサレス(29=ニカラグア)の言動だった。11月下旬に帝拳プロモーションとの話し合いと休暇を兼ねて来日。帝拳ジムで汗を流すのが日課だったが、ある日のこと、入り口のエレベーターを降りてジムにはいるときに一礼すると、みなに握手をしていく。その立ち居振る舞いを見ていた記者にも、こちらの目をしっかり見て握手してくれた。「コンニチハ」という日本語とともに。

 「パウンド・フォー・パウンド」(全階級を通じて最強)と称される「ロマゴン」は、ジム以外でも徹底して控えめで礼儀正しかった。12月3日には後楽園ホールで試合を観戦したが、その存在に気付いた多くのファンにも笑顔で対応。写真撮影に応じて、むしろロマゴンの方が頭を下げていた。

 

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではないが、世界一の男が見せたあいさつ1つにも「道」を感じるボクシングがあった。【阿部健吾】