全日本プロレスの諏訪魔(47)が12日、故人をしのんだ。10日に群馬・高崎で行われた全日本の群馬Gメッセ大会に出場した吉江豊さんが同日に亡くなった。死因は不明。50歳だった。吉江さんは同大会の第3試合で井上凌と組み、大森北斗&崔領二と激突。試合は井上が崔に敗れた。吉江さんの容体が急変したのは、控室に戻った後だった。呼吸が乱れ、意識を失った。すぐさま救急車が呼ばれ、高崎市内の病院に救急搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。

吉江豊さん(2016年撮影)
吉江豊さん(2016年撮影)

諏訪魔は、その大会の第5試合に出場していた。「試合前は普通の状態にしか見えなかった」と今でも、動揺が隠せない。試合を終えた吉江さんが控室に戻ってきた時、諏訪魔も控室にいた。そこでの変わり果てた様子を目の当たりにしていたからこそ「とにかく、驚きました。びっくりしました」と言うしかなかった。救急車に運ばれていく先輩の様子が気が気でならない中、自身はプロである以上、出番に備えた。試合を終えると、すぐさま病院に向かった。ただ、対面はかなわなかった。既に、息絶えた後だった。

吉江豊さんの遺影を持って諏訪魔がリングに上がった
吉江豊さんの遺影を持って諏訪魔がリングに上がった

諏訪魔は言う。「若手のころ、よく試合をさせてもらってさ。とにかく、重い人だったよ」と。吉江さんは身長180センチ、160キロを超える肉体を武器としていた。公称188センチ、120キロの諏訪魔は「乗られたら、本当に動けなくなる」と笑った。「特にトップコーナーからのボディプレスはやばかったよ(笑い)」。今もそのすごさは、肉体が覚えている。吉江さんは、元横綱の曙との巨漢コンビで、世界タッグ選手権のベルトを巻いたこともあった。諏訪魔は「本当にすごいインパクトがあってね」と懐かしんだ。

ボノちゃんこと曙太郎とタッグを組んだ吉江豊さん(08年撮影)
ボノちゃんこと曙太郎とタッグを組んだ吉江豊さん(08年撮影)

吉江さんは1994年(平6)年2月に新日本プロレスに入門し、同年12月9日の小島聡戦でデビュー。対して諏訪魔は2004年(平16)年10月11日の馳浩戦でデビュー。年齢は近いが、プロレスラーとしてのキャリアは吉江さんがはるかに上。デビュー前の諏訪魔は、1人のファンとして、吉江さんの試合を観戦したこともあった。同年代として、これからさらにプロレス業界を盛り上げようという最中だった-。「とにかく重い人で(笑い)明るい人だった。いつも笑いの中心にいた」と寂しそうに言った。諏訪魔はリングで戦い続ける。吉江さんが見ていると信じて。【栗田尚樹】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)