大関稀勢の里(29=田子ノ浦)が、名古屋場所(7月10日初日、愛知県体育館)で再び綱とりに挑むこととなった。

 まだ優勝経験がない大関の綱とりには、異論の声も聞こえる。確かに、天皇賜杯を1度も抱いたことがない力士を最高位の横綱に据えることには反対だ。だから、今の稀勢の里に「優勝」は横綱昇進の最低条件と考える。

 それでも、1度の優勝だけではダメだと、横綱審議委員会の横綱推薦の内規にある原則の「2場所連続優勝」をかたくなに主張する人もいるだろう。優勝回数ゼロのまま角界を去った双羽黒の悪例が、色濃く残るためだ。

 そこで、15日制が定着した49年夏場所以降に誕生した31人の横綱を振り返ってみる。2場所連続優勝で横綱になったのは、実は12人しかいなかった。そのうち旭富士から日馬富士までの8人は、双羽黒の廃業によって「原則」が重んじられてから誕生した横綱。つまり、それまでの過去を見れば、内規の次の項にある「準ずる好成績」が、数多く適用されている。

 さらに言えば、双羽黒のように2場所連続で優勝がない中で横綱に上がっている大関は、双羽黒を除いても6人いる。こうしたケースはさすがに今の時勢にはそぐわないが、直前の1場所の優勝だけで横綱に上がった大関も、千代の富士や輪島ら9人いた。

 「綱とり」はよく、直前の2場所で判断される。これを3場所に広げて調べてもみた。その3場所で計40勝以上を挙げているのは吉葉山、2代目若乃花、大乃国、貴乃花の4人しかいなかった。「13勝×3場所」にあたる計39勝にしても、佐田の山、輪島、隆の里の3人が加わるだけ。難しさがよく分かる。

 稀勢の里が果たした「2場所連続の13勝」は、過去35人の最高位が大関の誰一人として達成していない。名古屋場所で13勝すれば「39勝」。14勝なら「40勝」となる。こうした安定度も鑑みれば「2場所連続優勝」にとらわれすぎる必要も、ないのではないか。

 もちろん、これらはあくまでも「机上の数字」にすぎない。安定した成績を残していても現実として、優勝経験がない。だからこそ「優勝」することは、横綱昇進の最低条件にある。今の大相撲時代、その壁こそが、もっとも高く、厚い。白鵬がいるからだ。その白鵬を超えたとき、優勝の価値もまた、必然的に高くなる。【今村健人】