米マイクロソフト社が開発したAI(人工知能)「Tay」がツイッター上で人種差別発言を連発、ついには「ヒトラーは正しかった」と言い出して実験中止に追い込まれたという。絶対悪の「ヒトラー」が肯定されてしまったのだから、開発者たちも動揺したことだろう。

 Tayは人がツイッター上に書き込む内容を覚えていくため、意図的に差別的な言葉を覚えさせた人たちがいて、今回は人為的なアクシデントとも言えそうだ。とはいえ、「ヒトラー」という固有名詞の存在で、現実味を増したAI暴走の「ターミネーター」世界にさらなる恐怖が加味されたことは間違いない。

 映画の世界でもナチス=ヒトラーはまぎれもなく第2次大戦後の絶対悪であり、タブーとなっている。スチーブン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォード主演の冒険活劇「インディ・ジョーンズ」シリーズ(81年~)では、そんなイメージを意識して、悪の象徴として常にナチスの影を漂わせている。

 独映画「帰ってきたヒトラー」(デビッド・ベンド監督、17日公開)は、そのアドルフ・ヒトラーが現代にタイムスリップしたら…という危うい題材に挑戦している。

 ベルリン市内の草むらで突然目覚めた軍服姿のヒトラーは、いかめしい言動で周囲を惑わせる。当たり前だが、成り切りぶりのクオリティーは高く、嘲笑は称賛に変わっていく。番組制作会社スタッフの目に留まり、ものまね芸人として注目を集めた彼はいつの間にか世の中を動かすようなパワーを手に入れて…。

 12年に発表された原作は、タブロイド紙記者を経て著名人のゴーストライターをしていたティムール・ベルメシュ氏が自身の名前で書いた初めての小説で、有力紙の書評は芳しくなかったが、「怖いもの見たさ」の心理が働いて、瞬く間にベストセラーとなった。

 ヒトラーの一人称で語られるストーリー(日本語版は河出文庫)は、文字通り偏見の塊なのだが、いつの間にか引き込まれ、ヒトラーの立場で読み進めている自分に気付いて冷や汗をかく。戦後の反ナチス法は、終戦総括として独内外で高く評価されているが、全否定は70年の時を経て、当初明解だった「なぜ?」「どうして?」の感覚が希薄になり、むしろその実体に目を背ける遠因にもなっている。独裁者の毒と魅力を突きつけ、小説はそんな形骸化に警鐘を鳴らしているわけだ。

 複数の視点で描かれる映画では、舞台を中心に活動してきたオリバー・マスッチ(48)というそっくりさん俳優を得て、説得力のある作品になっている。軍服を着たマスッチを予告なしで市民の中に放ち、カメラを回した手法には出来のいいドキュメンタリーのような迫真力がある。

 ひたすらストレートなヒトラー(マスッチ)の言葉をブラックジョークとして受け止めて苦笑いしたり、爆笑したり。怪物として、触れることも恐れていた男が生身の存在として目の前に登場し、不気味だが、確かに魅力もある。だからこそ怖いのだ、と突きつける。そんな男をいつの間にか受け入れてしまう現代社会の脆弱(ぜいじゃく)さも浮き彫りにする。

 米独加合作の「栄光のランナー 1936ベルリン」(8月公開)にはゲッベルスや映画監督のレニ・リーフェンシュタールといったヒトラーの取り巻きが登場する。国威発揚に利用したベルリン五輪を舞台に4冠に輝いた米国のジェシー・オーエンス(ステファン・ジェイムス)にスポットを当てた作品だ。

 黒人のオーエンスが米国でも、ナチス政権下のドイツでも差別と偏見にさらされながら、メダルを手にして喝采を浴び、ヒトラーとその取り巻きの鼻を明かす。胸のすくストーリーだ。

 8月には仏映画「奇跡の教室」(マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール監督)も公開。こちらは落ちこぼれ学級の生徒たちが「ホロコーストの研究」を通し、人種を越えて団結していく実話を描いている。

 日本でも改めて先の戦争を振り返る季節だが、今年はヒトラーにまつわる質的にも高い3作品がそろった。アプローチはそれぞれだが、いずれも心に残る作品だ。【相原斎】