あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。“岡ちゃん”の熱い教えが原点だった。コンサドーレ札幌四方田修平監督(42)が指導者の道に進むきっかけをつくったのが、元日本代表監督の岡田武史氏(59)。98年W杯フランス大会出場をサポートし、99年からは札幌監督とコーチの関係で3シーズン、指導法や人間学まで、多くを学んだ。逆境の中にあっても、前向きで大胆な岡田氏の言葉が、指揮官を支えている。

 監督就任後、電話で報告を入れたら岡田さんに「頑張れよ。気を使い過ぎずに、自分のやりたいようにやった方がいいぞ。どうせクビになるときはなるんだから」と言われましたね(笑い)。僕の性格とかも理解してくれているし、シーズン途中でということも考えると、いろんなことを考えなきゃいけない。そういう状況だけど「お前がやりたいようにやるのが一番大事なんだぞ」っていうのが岡田さんらしいなと。

 自分にとって恩師でもあり上司でもあり、先輩でもあり、兄貴分的な感じでもあり、いろんな要素を含んだ存在ですね。一番自分が影響を受けた人ですね。頭に何となくあって、それをうまく表現できなかったことを、すごく分かりやすく表現してたり、教えてくれたりして。それで自分の中で整理されて、共感することが多かったんですよね。

 もともと、新聞記者になろうと思っていた人なので、よく本も読むし、さまざまな分野の人と親交があったり、教養が深い。サッカーもすごいですけど、いろんな話が面白かった。監督とは、という部分は「最後は全責任を背負って決断しなければいけないのが監督なんだ」と。「副社長と平社員との差より、社長と副社長との差の方が大きい。そのぐらい一番上で決断しなければいけない人の立場っていうのは重要で、責任を持ってやらなければいけない」と。そういう話は、たくさん聞きました。

 僕は大事なことをするときに、ダメだったらどうしようとか、やらなきゃやらなきゃって思って疲れちゃったり、過緊張になったり、失敗したらどうしようとか、ものすごく考える方だったんです。けれども「いくら考えたって、いくら緊張しても自分は自分以上のものは出せない。だからベストを尽くすしかないんだ」って。「やるだけやったら開き直るしかないだろ」っていうのが、その後の僕にとっては、自分を楽にさせてくれた考え方でした。もちろん、開き直る前に、やりきることが大事なんですけどね。今回、シーズン途中で監督を引き受けたときも、残り17試合、ベストを尽くすしかないって開き直れた。岡田さんに会ってなかったら受けていたかどうか、分からないですね。

 01年を最後に岡田さんが札幌を去るとき「指導者としてやっていこうと思うのだったら、どんなカテゴリーでも、チームでもいいから絶対、監督を1度やれ」と言われていたんです。そして「オレにずっとついてくるってのも、できるかもしれないけど、一指導者としての成長は限られているから自分でやっていかなきゃいけない。オレは辞めるけど、お前はチームに残って、そういう経験をした方がいいんじゃないか」って。その言葉がきっかけで札幌U-18コーチに就任。指導者のスタートとしては、すごい良かったし、いい経験をさせてもらえました。

 人間としても指導者としても魅力的な人で、そういうところで、みんな引きつけられ、選手もスタッフもついていくのかなと。ただ、僕はまねしてもできないから、もちろん、共感する部分はたくさんあったけど、自分なりに岡田さんから得たものを生かし、自分ができることを、やっていかないといけないなと思っています。【取材・構成 永野高輔】

 岡田武史氏 (監督就任後)四方田から久しぶりに電話がかかってきました。「トップの監督をやることになりました」と。

 「うまくいくかどうかわからないけど…」などという言い訳はまったくなく、それは宣言に近いものでした。悩みや迷いの相談ではないこの言葉に、私は、たくましく、そして大きくなった四方田に、あらためて感心させられました。今の彼なら必ずやると思い、後押しをしました。

 誠実で、絶対に人を裏切らない人間性は今も変わらないだろう。そして常に全力で取り組む、そんな四方田を心から応援しています。そして、1人でも多くの北海道の方が、彼に力を与えてやってほしいと思います。

 ◆四方田修平(よもだ・しゅうへい)1973年(昭48)3月14日、千葉市生まれ。習志野高、順大を経て、筑波大大学院時代の96年、12月のアジア杯から加茂監督、岡田コーチの下で日本代表スカウティングスタッフ入り。98年W杯フランス大会初出場に尽力。99年から3シーズン、岡田監督の下で、札幌トップチームアシスタントコーチとして01年J1昇格に貢献。02年から札幌U-18コーチ、04年から同監督。11年プレミアリーグイースト、12年にJユース杯優勝。今季7月24日に札幌トップチーム監督に就任。