タレント三田寛子(50)が16日、都内で、夫で歌舞伎俳優中村橋之助(51)の不倫報道について謝罪した。離婚は「ないでーす!」と明言、10月に控える橋之助の8代目中村芝翫(しかん)襲名へ向けて夫婦、家族で一致団結するとした。不倫報道以後、三田がコメントをするのは初めて。

 三田は、都内の稽古場で行われた成駒屋一門の打ち合わせ前、集まった報道陣に「多大なるご心配、ご迷惑をお掛けしまして本当に申し訳ございませんでした。夫婦で支え合って助け合ってやってきましたが、主人も私にもいたらない点が多々ございました」と大きな声で謝罪した。

 関係者は、報道で大きなショックを受けていることは変わりないとしたが、三田は「この通り、いつもと変わらず元気です」と気丈だった。仕事も通常通り行っているという。

 稽古場は橋之助の父で、7代目中村芝翫さんの自宅だった所。さらに、雨男で有名だった芝翫さんを思わせるように、三田が到着する直前から雨が降りだした。三田は「父が、もっと気を引き締めて頑張らねばいかんぞと言っているということ」と義父の叱咤(しった)を感じたとし、「敦子(=本名)を守ってあげなきゃ、女の子だからかわいそうに、ドキドキしながら会見するだろうという思いで、父が私を守ってくださっている」とユーモアも交えた。

 橋之助については「言葉少なに反省している様子でございます。もう、何の言い訳もないと思います。これからが彼の男として、人としての見せどころ」と、厳しいながらも前向きだった。役者の世界では「遊びは役者にとって芸の肥やし」と言われることを聞かれると「いろんな言葉があります」とした上で、「週刊文春」の取材に対して「うちには芸の肥やしとかありません」と答えたことを引き合いに「あの記事の言葉がすべて」と超然としていた。

 離婚については「ないでーす!」と明るく答えた三田。記事が出る前に2人でよく話し合ったそうで、すでに気持ちを切り替えているようだ。夫と息子3人の親子4人同時襲名まであと2週間。「雨降って地固まる、と言っていただけるように一生懸命頑張ります」と誓い、頭を下げた。

<梨園の妻が見せた夫の不倫騒動対応>

 ▼1994年9月、宮沢りえ(21)が京都市のホテルで自殺未遂と見られる騒動を起こし、原因が当時の中村勘九郎(39)の存在と言われた。取材に応じた勘九郎夫人の好江さん(35)は2人が不倫とのうわさに「お互い好きなんだからしょうがないんじゃないですか。りえさんも(勘九郎を)好きだし、主人もファンとして(りえを)好きなんでしょう。でも、不倫なんてありません」と一笑に付した。

 ▼2002年6月、当時の中村鴈治郎(70=現坂田藤十郎)が51歳年下の舞妓(まいこ)との密会騒動を起こす。妻の扇千景(69)は国土交通大臣だったが、半年後に夫鴈治郎とともにワインのイベントに登場。「夫はワインも女性も愛しているんです。いいんじゃないですか。(ワインも女性も)味わえる時はわずかしかないんですから」と寛容な姿勢を見せた。