一昨年12月、末期肝臓がんの告知を受け、闘病しながらも高座に上がり続けた上方落語家、笑福亭松喬(しょうふくてい・しょきょう=本名・高田敏信)さんが30日午後4時30分、大阪市西区の病院で死去した。62歳だった。

 最後の高座は6月8、9日に天満天神繁昌亭で行われた松喬一門会。同亭の恩田雅和支配人は「体調は優れなかったのかもしれないが、高座では病気をネタに笑いもとっておられ、普段通りにやられていた」と話した。

 松喬さんは69年、戦後の上方落語復興に尽力した故6代目笑福亭松鶴さんに入門。鶴三として初高座にあがり、87年、6代目松喬を襲名した。テレビ、ラジオと、メディアの世界でも活躍する兄弟子、仁鶴、鶴光らに次ぎ、6代目松鶴早期の弟子で、鶴瓶の兄弟子にあたる。

 豪放磊落(らいらく)な高座スタイルの一方で、上方言葉に忠実で丁寧な語り口、人情の機微の表現のうまさには定評があり、6代目松鶴一門の中でも、最も、師匠の芸風を継いでいると言われ、07年度の芸術祭賞大賞を受賞した。

 還暦記念の落語会を終えた11年12月ごろ、体調不良を感じ「疲れが出たのかもしれない」と病院へ行き、末期の肝臓がんと告知を受けた。すでにがんは6・5センチ大で、手術は不可能と診断され、抗がん剤治療などを受け、12年3月に病状報告会見し、同4月に高座復帰した。

 以後は、自分の血液からワクチンを作る成分を抽出する新しいがん免疫療法を受けつつ、高座に上がり続けた。松喬さんは「保険がきかないから働かんとあかんのですわ」とジョークを交えながらも「高座に上がって人を笑わせるのも、笑うのも、一番のええ薬なんです」と話したこともあった。

 昨年10月からは、季節ごとに1回、4年で16回公演を目標にした「松喬十六夜」をスタートしたが、6月半中旬に体調が悪化。7月21日の「第四夜」をキャンセルしていた。

 通夜は8月1日午後6時、葬儀・告別式は同2日午後1時から、いずれも、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、大阪市立やすらぎ天空館で。喪主は、長男の高田健太(たかだ・けんた)氏。