<第60回NHK紅白歌合戦を語る(7)=小林幸子>

 ド派手衣装が番組の毎年恒例の目玉になっているのが歌手小林幸子(56)だ。今年の大みそかで31回目の出場となるが、過去30回で最も印象的だったのは79年の初出場だという。

 小林

 当時、歌手として私は神様に見放されていると思っていました。キャンペーンに行って悲しい思いをして帰ってくる生活が15年も続き、もうキャンペーンに行きたくないと思っていました。

 79年、運命が変わった。レコードのB面だった「おもいで酒」がオリコンや有線放送で1位になり、レコード大賞最優秀歌唱賞も受賞した。

 小林

 天地がひっくり返ることがあるんだな、神様が15年分のプレゼントをくれたんだと驚きました。でも、最初で最後だろうなとも。ならば、NHKホールの楽屋から1~3階まで行ったり、トイレまで見て回ったり、何から何まですべて見て回りました。すべてを心に入れて帰ろうと。そのせいかステージでは全く緊張しませんでした。

 初出場に緊張しない自分に驚いたが、2回目以降は緊張続き。ド派手衣装はその緊張が要因で生まれた。

 小林

 衣装はもともと緊張をほぐすためにやったんです。お客さんの楽しそうな顔で緊張が軽減できるかと。実際にそうでした。

 「冬化粧」を歌った91年の紅白からド派手衣装を続けている。最も印象に残っている衣装は…。

 小林

 大がかりな衣装を止めた時です。04年に故郷で発生した新潟県中越地震の年の紅白。完成した衣装をどうしても着られなくて「雪椿」を振り袖で歌ったことが心に残っています。久しぶりに舞台の袖から歩いて出て行きました。いつもは4人ぐらいに抱えられながら、袖に行って、そこで10人ぐらいに衣装を装着してもらい、後ろに約20人いる状態。それが1人で普通に出て行って歌ったのですから。

 場外からは、衣装にかけるお金があるなら「被災者に寄付しろ」といった声も届いた。いろんな思いが交錯。新潟の避難所に行き、故郷の人々を見舞って決心した。

 小林

 壮絶でした。すべてを失い、壁をじっと見つめている人。毛布にくるまる老人。ちゃんとした照明も音響も、衣装もない場で、私にできるのはただ歌うこと。歌った後、みんなが集まって来て「風邪をひかないでね」「頑張ってね」と全部を無くした人が言うんです。歌は心に響くことが大事、派手な衣装はいらないと。

 それでも、翌年、故郷の期待を受けてド派手衣装を復活させた。すべては故郷の笑顔のために。【中野由喜】

 ◆小林幸子(こばやし・さちこ)1953年(昭28)12月5日、新潟県生まれ。63年にTBS系「歌まね読本」で優勝し、64年「ウソツキ鴎」で歌手デビュー。79年「おもいで酒」が200万枚のヒットとなり、第21回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞。同年の紅白歌合戦に初出場。68年のテレビ朝日系「青い太陽」で主役を務めるなどドラマでも活躍。06年に紺綬褒章を受章。血液型A。

 [2009年12月24日6時41分

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