「白い巨塔」や「大地の子」「沈まぬ太陽」など、巨大組織の暗部を浮き彫りにする社会派小説で知られる人気作家の山崎豊子(やまさき・とよこ)さん(本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)が9月29日未明、心不全のため死去した。88歳だった。30日には大阪府内の自宅で通夜が営まれた。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主はおい山崎定樹(やまさき・さだき)氏。

 戦争のむごさ、巨大組織にうごめく人の欲望と暗部…数多くの社会派小説を生み、多くが映像化された山崎さんは、江戸時代から続く大阪・船場の昆布屋「小倉屋山本」のいとはん(令嬢)だった。訃報を受け、山崎さんを知る関係者の1人は「急なことで非常に悲しい」と声を絞り出した。

 この日は自宅で通夜が営まれ、出席した親族男性は「故人の遺志で密葬で送りたい。落ち着いた段階で発表したい」。別の親族女性は「華やかなことが好きな人ではなかったので」と、密葬にした理由を明かした。

 山崎さんは8月に週刊新潮で連載小説「約束の海」を始め現在も連載中。入院中だったが、予定の20回分を書き上げていた。弔問した新潮社の関係者は「(山崎さんは)29日午前2時過ぎに入院先の病院で亡くなりました。心臓が弱ってきて、最後は眠るように亡くなった。大往生じゃないですか」とコメント。同社広報宣伝部は連載について「今後も粛々と掲載していく」としたが、別の関係者によると、山崎さんは「私がどうなってもこの連載は続けてほしい」と言い残していた。

 山崎さんは、1944年(昭19)に京都女子専門学校(現京都女子大)を卒業し、毎日新聞社に入社。後に作家となった井上靖さんの下で働くうちに刺激を受け、57年に大阪・船場の生家の昆布商をモデルにした「暖簾(のれん)」を刊行。翌年、吉本興業創業者の吉本せいをモデルに大阪女を描く「花のれん」で直木賞を受けた。

 「ぼんち」「女の勲章」「女系家族」など「船場もの」を経て社会派小説に移り、65年に刊行した「白い巨塔」では医学界が抱える問題にメスを入れた。その後も政・官・財界の閨閥(けいばつ)を描く「華麗なる一族」をはじめ、シベリア抑留がテーマの「不毛地帯」や日系2世が主人公の「二つの祖国」などを発表。日航ジャンボ機墜落事故に着想を得て航空会社の暗部を描いた「沈まぬ太陽」もベストセラーになった。

 綿密な取材や資料調べは有名だったが、資料の引用方法をめぐり盗作を指摘されたこともあった。中国残留孤児の苦難を描いた「大地の子」の取材をきっかけに、帰国した戦争孤児家庭の子どもたちに奨学金を贈る「山崎豊子文化財団」を93年に設立。原動力は戦争で生き残ったことへの罪障感だった。後世へ伝えることは「使命」と考え、01年ごろから両足や手の指がまひし執筆を中断したこともあったが、09年に外務省機密漏えい事件に材を得た「運命の人」を発表した。

 最近は口述の形式をとることもあったというが、連載中の「約束の海」は、旧海軍士官の父と海上自衛隊員の息子を主人公に、戦争と平和を問う内容だった。

 ◆山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)1924年(大13)大阪市生まれ。昆布加工業の老舗「小倉屋山本」に生まれる。京都女子専門学校(現京都女子大)国文科に進み、44年に卒業後、毎日新聞大阪本社に入社。学芸部時代に、後に作家となるデスクの井上靖さんに指導を受ける。記者活動と並行して小説を執筆し、57年に実家をモデルにした「暖簾」で作家デビュー。翌58年に吉本興業の創業者吉本せいを題材に書いた「花のれん」で第39回直木賞を受賞。毎日新聞を退職して作家生活に。