日本を代表する俳優、高倉健(たかくら・けん)さん(本名小田剛一=おだ・ごういち)が10日午前3時49分に悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなっていた。83歳だった。1960年代の任侠(にんきょう)映画で支持され、「幸福の黄色いハンカチ」など205本の映画に出演。12年の主演映画「あなたへ」以来の新作映画を来春に撮影予定だったが、体調不良で入院し、治療中だった。高倉さんの遺志で近親者のみで密葬を済ませた。

 突然の訃報だった。高倉さんの個人事務所、高倉プロモーションが18日正午前、高倉さんの死去を伝える書面をマスコミ各社に送付した。

 「映画俳優高倉健は、次回作準備中、体調不良により入院、治療を続けておりましたが、容体急変にて11月10日午前3時49分、都内の病院にて旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でございました」

 病名は悪性リンパ腫。入院したことは親しい人にも伝えずに闘病していた。書面には「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」との高倉さんの座右の銘も添えられていた。この言葉は、天台宗比叡山延暦寺の大阿闍梨(あじゃり)の酒井雄哉氏と対談した時に酒井氏から贈られ、大事にしていた。過酷な撮影が予想される映画「南極物語」の出演依頼に、高倉さんは「この言葉を阿闍梨さんにいただいて、『南極物語』をやろうと決めました」と語ったこともある。

 高倉さんは入院中も病院スタッフに愛されていた。遺体が病院を出る際には、治療に携わった病院スタッフが出口にそろい、涙を流しながら見送ったという。高倉さんの遺志に従い、すでに近親者のみで密葬を済ませており、書面には「今は、おひとりおひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りをささげていただけますことを願っております」とつづられた。

 高倉さんは12年に前作「単騎、千里を走る。」から6年ぶり205本目の「あなたへ」を公開。同年の「日刊スポーツ映画大賞」で主演男優賞を受賞した。13年11月には文化勲章を受章し、皇居での親授式にも出席した。その際に「この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」と次回作への意欲も話した。

 実際に206本目の準備は進んでいた。メガホンを取るのは「あなたへ」と同じ降旗康男監督(80)。今年8月には高倉さん、降旗監督、東宝プロデューサーらが集まり、打ち合わせも行っていた。親子を主人公にした感動物語で、脚本も完成していた。来春から撮影も始まる予定だった。

 高倉さんは日ごろからジムに通うなど撮影に備えて体のケアを怠らなかった。8月に高倉さんの姿を見た自宅近所の住民は「やつれてもいなかったし、普段と変わらなかった」と話した。同時期に高倉さんは健康食品通販「健康家族」のCM撮影にも出演していた。宮崎県内にある農場で数日間の撮影だったが、高倉さんは山道もすたすたと登り、休憩中も1度も座ることなく、元気な様子だったという。しかし、人知れず闘ってきた悪性リンパ腫によって突然、天に召された。映画を通じ、「耐えて」「しのぶ」男の美学を体現し続けた高倉さん。その姿を、206本目で見ることはかなわなかった。

 ◆高倉健(たかくら・けん)1931年(昭6)2月16日、福岡県生まれ。東筑高、明大商学部卒業後、55年に東映入社。56年の主演映画「電光空手打ち」でデビューし、「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「網走番外地」シリーズで人気を得た。東映退社後、77年「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」でブルーリボン賞主演男優賞。99年「鉄道員(ぽっぽや)」でモントリオール世界映画祭主演男優賞。当時の興行収入記録を塗り替えた「南極物語」、米映画「ブラック・レイン」などに出演。12年「あなたへ」で日刊スポーツ映画大賞の主演男優賞。生涯で205本の映画に出演。06年文化功労者。13年に文化勲章。

 ◆悪性リンパ腫

 免疫の働きを担当するリンパ組織にできる悪性腫瘍。人間の体内には血液とリンパ液の2種類の液体が流れている。リンパ液は白血球の一種で、体内に入った病原菌や異物に対処する働きがある。リンパ組織などに悪性腫瘍ができると、免疫機能が低下していく。世田谷井上病院の井上毅一理事長は「リンパ組織は、首の下、脇の下、乳房、鼻の穴、へんとうなど全身にあり、脾臓(ひぞう)もその1つ。発熱、だるさ、リンパ組織が腫れるなどの症状があります。悪性リンパ腫の疑いがある場合、組織検査で診断します。主な治療方法として、抗がん剤投与などの化学療法、放射線療法、骨髄移植などがあります」と話している。