庄内の悲願はお預けとなった。山形・鶴岡市出身の競泳小関也朱篤(やすひろ、24=ミキハウス)が日本時間11日、リオ五輪競泳・男子平泳ぎ200メートル決勝に出場。メダル獲得が確実視される中、母校・鶴岡四中体育館で行われたパブリックビューイングには300人が集結した。世界記録を上回るハイペースで150メートルまで1位をキープしたが残り50メートルで失速。2分7秒80で5位に終わった。山形は夏季五輪でこれまで金1個、銀1個とメダル獲得数は東北6県では最少。14日に行われるメドレーリレーでの表彰台を目指す。

 歓声は一瞬にして悲鳴となった。日本時間午前10時過ぎ。小関の母校・鶴岡四中の体育館に集まった300人はメダル獲得を信じて疑わなかった。「也朱篤!」「行けーっ!」の大声援。目の前に映し出される大スクリーンで泳ぐ小関は、世界記録のラップを上回るハイペースで泳ぎ続ける。ぶっちぎりでの金メダルはもはや目の前。庄内地方初の五輪選手の快挙がやってくる。だが、残り50メートル、夢がしぼんでいった。

 力尽きた。150メートルのターンをするとタイムが伸びない。思わず立ち上がり「ああ!」「頑張れ!」と絶叫する観衆。だが、後続に抜かれ、結果は5位。56年メルボルン大会レスリング62キロ級で金メダルの笹原正三氏(山形市)、12年ロンドン大会女子サッカーで銀メダルを獲得した佐々木則夫氏(尾花沢市)に続く、県勢3つ目のメダルに届かなかった。

 庄内地方の夢が詰まっていた。高校時代、母校の羽黒高にはプールがなく、鶴岡市内の「山形県民の海・プール

 スパール」で泳ぎ続けた。コースは25メートルのみ。県営施設のため利用者が増えれば、練習を中断し、譲らなければならない環境でも必死に泳ぎ続けた。当時、県の強化委員長で、支援する会の事務局長を務める白井宗雄さん(67)は「高校3年間ずっと逆境の中頑張ってきた。コーチと二人三脚でやって、五輪代表。山形としての強化策がやっと実った」と県民の期待を一身に背負っていた。

 レース後、小関はインタビューで約5秒の長い沈黙の後に「ちょっと悔しいですね」と振りしぼった。日本のお家芸とも呼べる同種目は04年、08年で北島康介が連覇、12年では立石諒が銅。4大会連続のメダルを逃した衝撃は大きい。だが、小関はこうも続けた。「メドレーリレーがありますから。そこに合わせたい」。雪辱の機会は日本時間14日午前決勝の400メートルメドレーリレーに残されている。山形のためにも、手ぶらでは帰れない。【島根純】