「鹿年」で16年シーズンが幕を閉じた。鹿島がJリーグチャンピオンシップ(CS)を年間勝ち点3位から下克上優勝。クラブW杯でもアフリカ、南米王者を完封し、決勝では欧州王者Rマドリードに一時は2-1とリード。延長で敗れたが、世界を驚かせた。天皇杯でも決勝で初タイトルを狙う川崎Fを退けて2冠。国内19冠目を獲得した。

 私が担当したのは、11月から。中身の濃い2カ月間だった。リーグ戦は4連敗で終えた時、「正直、勝ってないから雰囲気は良くないよね」。選手たちに自信に満ちた表情はなかった。だが、天皇杯4回戦神戸戦前に主将の小笠原が発起人となり、選手だけの決起集会を開いた。全員が一言ずつ思いを言葉にした。第2ステージで結果を出せていなかったエースFW金崎は冗談を言いながら盛り上げた。「本当の戦いはここからだ。全員でタイトルをとりにいこう」。主将の言葉で心が1つになった。なぜか。DFリーダーの昌子源が神戸戦の勝利後、口にした言葉が印象的だった。

 「(小笠原)満男さんや、ソガさん(曽ケ端)の背中を見ていると、なんかいけそうな気がしてくるんですよね。それが、この鹿島にはあるんですよ。タイトルを積み重ねてきた歴史って言葉にしてしまうと簡単なんですけれど、どうすればタイトルをとれるかという、重ねてきたクラブのレガシー。だからこそ、僕らもたくさんその経験をして、次の世代に受け継いでいかないといけない。その責任、使命がある」。

 前身の住友金属工業時代は選手、監督として活躍し、Jリーグ創設後は長年強化担当を務めてきた鈴木満常務に「何で鹿島はタイトルがとれるのか?」とクラブW杯後に聞いてみたこともある。その1つで印象的だったことが「チームのスローガンって、1回も決めたことがないんだよね」。Jクラブは開幕前にそのシーズンのスローガンを掲げるのが通例。「やらなきゃいけないことって毎年一緒じゃない。全部勝つこと。それって1年通して同じことばかりじゃないんだよね。相手によっても違うし、大会によっても違う。実際にタイトルをとることでクラブも選手も学んできた。勝って強くなってきたというか、優勝しないと成長できない。2位じゃだめ。あえて言うなら自在性ってのがスローガンかもね」。臨機応変に戦い方を替え、瞬時に判断ができることが、国内19冠から得た鹿島の強みではないだろうか。

 16年、J開幕戦で決勝ゴールを決め、クラブW杯でのゴールパフォーマンスでも注目を浴びたFW鈴木優磨も20歳で鹿島の強さを、身をもって実感できた。天皇杯決勝後「試合中、負ける気がしなかった」と言い切った。「どの時間帯に何をすべきか共有できていることが差。優勝するチームと、できないチームの差がはっきりした」。この体感は17年シーズン、そして将来のエースとして心と体に刻まれたはずだ。

 「酉年」はリーグ連覇、ルヴァン杯奪還、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初制覇でクラブW杯のリベンジ。すべてを“とり”にいくのが鹿島の使命となる。茨城県出身の私にとっても、鹿島は地元初のプロクラブ。高校時代の93年、初年度のCSを国立競技場で生観戦したジーコやアルシンド、そして石井正忠の戦う姿は、今でも鮮明に記憶に残っている。勝って強くなるのは、記者も同じ。原点に戻り、しっかり勝者の根源を学ぶ1年にしたい。【鎌田直秀】


 ◆鎌田直秀(かまだ・なおひで)1975年(昭50)7月8日、水戸市出身。土浦日大-日大時代には軟式野球部所属。98年入社。販売局、編集局整理部を経て、サッカー担当に。相撲担当や、五輪競技担当を経験し、16年11月にサッカー担当復帰。16年はリオ五輪の卓球・福原愛や、Jリーグ鹿島などの下馬評を覆す躍進を体感。17年の目標はフルマラソン完走。その前に、まずは減量。