唐突ですが、20年東京五輪の顔に、日本女子代表「なでしこジャパン」のGK山根恵里奈(26=ジェフユナイテッド市原・千葉レディース)を推薦します。

 今月13日、なでしこリーグに所属する山根ら8選手が、東日本大震災から6年が経過した東京電力福島第1原発とJヴィレッジを訪れました。全員、福島の浜通りを活動拠点としていた中高一貫の養成施設「JFAアカデミー福島」の出身です。かつて共同生活していた寮、通学していた楢葉中や富岡高も再訪し、懐かしさと寂しさに胸を締めつけられました。

 第1原発に入るのは震災後初めて。高校卒業後、東電に就職し、福島第2原発に配属(広報部)された山根にとって、第1原発は研修などで何度も利用した場所でした。バスの中から1~4号機を視察し、極めて困難な廃炉作業に直面している、かつての“職場”を確認。あいさつのため約450人の作業員の前に立つと、感謝の思いで涙が止まりませんでした。

3月13日、東京電力福島第1原子力発電所構内をバスの車内から視察する千葉の山根恵里奈(左端)らサッカー女子なでしこリーグの選手(代表撮影)
3月13日、東京電力福島第1原子力発電所構内をバスの車内から視察する千葉の山根恵里奈(左端)らサッカー女子なでしこリーグの選手(代表撮影)

 「移籍してサッカーを続けるか、やめて福島に残るか本当に悩みました。その時に背中を押してくれたのが、福島の人たち。私たちは福島に育ててもらったサッカー選手。そう思いながら今も毎日ピッチに立っていますし、いつも福島のことが心の中にあります」

 社会人サッカー生活の第1歩を踏み出したのが、東京電力マリーゼ。震災で活動できなくなり、心から迷っていた当時を思い出し、感極まりました。

 彼女の目標は、東京五輪まで代表に選ばれ続けて金メダルを目指すこと。それを福島の人に届けることです。Jヴィレッジは18年夏の一部再開、19年4月の全面開業を目指しており、東京五輪の男女日本代表が強化合宿を張ることが決定しています。「絶対、代表に入って戻ってきます」。6年間を過ごした福島県へ舞い戻り、復興五輪の旗頭となってもらいたいと思います。

 さらには2年前、こんな話も聞きました。15年8月6日、東アジア杯(中国・武漢)の取材エリアで山根に声を掛けました。彼女の出身地・広島に原爆が投下されてから70年の節目だったからです。当時の自分は「広島生まれ」との情報しか持っておらず、何か特別な思いを抱いているのか確認したくて取材をお願いしました。すると「実は、おばあちゃんが被爆しているんです」と明かしてくれたのです。

 広島市南区の実家は爆心地から2キロ圏内にあり、父方の祖母が投下後3日以内に爆心地へ入ったため、山根は被爆3世になるそうです。身近な存在から体験談を聞き、小中学生の時は、夏休みの自由研究で市の被害状況や残留放射線について調べていました。

 「ずっと興味があることだったので、いろいろ研究した覚えがありますね。もう、おばあちゃんは亡くなったんですけど、忘れてはいけないこと。今年は中国にいて日本にはいませんけど、ここから広島へ思いを届けられたら。みんなが笑って笑顔で過ごせたら。そんなことを願いながらプレーしたいと思います」

 グッときました。先日の福島もそうでしたが、選手代表にふさわしい立派なコメントを残せる選手だと、報道陣の間では評判になっています。

 広島といえば、昨年5月に米国のオバマ大統領(当時)が訪れて話題になりました。唯一の被爆国として再び世界的ニュースになりましたが、東京五輪の最中も大きく取り上げられるはずです。サッカー競技は7月22日から8月8日まで行われ、女子の決勝は8月7日に行われる予定。前日6日には、広島が75回目の原爆の日を迎えます。世界から注目される中、ここでも山根への期待が高まることになるでしょう。

GK練習でセーブするGK山根恵里奈
GK練習でセーブするGK山根恵里奈

 もちろん、世界クラスの187センチを誇る大型GKとして、代表に残ること、日本を勝利に導くことが求められます。まずはプレーがクローズアップされなければ、福島や広島へ思いは届かないと思っているはずです。その上で決勝まで勝ち上がり、金メダルに輝けるか。ここからの3年超が大事であることは言うまでもありません。

 そのベースとなる、なでしこリーグが26日に開幕します。4月9日には、なでしこジャパンがコスタリカ代表と対戦する「キリンチャレンジ杯2017~熊本地震復興支援マッチ がんばるばい熊本~」(熊本県民総合運動公園陸上競技場)が行われます。来年はW杯予選を兼ねるアジア杯ヨルダン大会があり、19年はW杯フランス大会、そして東京五輪を迎えます。その間、日本のゴールマウスを守り続けることが、復興五輪の顔になるための条件。取材に肩入れは禁物と承知していますが、記者も東北総局の一員として仙台赴任中に3・11を迎えた1人として、山根の活躍に期待しています。【木下淳】

 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部をへて13年11月からスポーツ部(現在は東京五輪パラリンピック・スポーツ部)に所属。なでしこジャパンは15年のW杯カナダ大会直前合宿、東アジア杯、16年のリオ五輪アジア最終予選など取材。