Jリーグ創設の立役者の1人で、専務理事も務めた木之本興三氏が15日、うっ血性心不全のため千葉市内の病院で亡くなった。68歳だった。16日にJリーグが発表した。

 古河電工(現J2千葉)の選手出身で、75年に病気で腎臓の摘出手術を受け、人工透析を続けながら川淵三郎氏らとプロリーグの発足に奔走した。

 93年のJリーグ発足後も常務理事、専務理事を務め、日本サッカー協会の要職も歴任した。

 02年W杯日韓大会では団長を務めるなど精力的に仕事をこなしたが、近年は体調を崩していた。

 Jリーグの村井満チェアマンは「突然のご訃報に接し、いまだに信じることができません。一昨年に対談取材でJFAハウスにお越しいただき、Jリーグや日本サッカーの未来について熱く語り合った記憶がまだ鮮明に残っています。木之本さんは日本サッカーリーグ時代から日本サッカーのプロ化の先鞭をつけ、最前線で奔走されました。木之本さんがいなければ今のJリーグの姿はありませんでした。木之本さんが安心してお休みになられますよう、全ての関係者が力を出し合い、Jリーグの理念の実現と日本サッカーのさらなる発展に尽くしたいと考えております。心からのお悔やみを申し上げます」とコメントした。