4日、34歳で死去した元サッカー日本代表の松田直樹さんの悲報に、高校サッカーの強豪、国見で長く監督を務め、U-17(17歳以下)日本代表監督としても松田さんを指導した小嶺忠敏・長崎総合科学大教授は「指導者としても日本を担う人材を失ってしまった」と悼んだ。

 小嶺氏は松田さんの資質を見抜き、FWからDFにコンバート。長身と身体能力に加え「意外と素直なところがあり、DFに大事な周囲との信頼関係を築ける選手だったこと」が理由だった。

 松田さんはその後「日本最高のDF」と呼ばれるまでに成長し、02年W杯日韓大会などで活躍。今季からは日本フットボールリーグ(JFL)の松本山雅で再出発したが「そこまで活躍した選手がJFLでやるのは勇気がいる。その経験は指導者になって生きるはずだった」と悔やんだ。

 最後に会ったのは「2年前くらいに横浜でやったU-17代表の同窓会」という。7月には小嶺氏が1月まで社長を務めたJFL、V・ファーレン長崎が、本拠地で松本山雅と対戦。松田さんは「あいさつがしたい」と恩師の姿を探していたというが、小嶺氏は海外に出かけていて会えなかったという。