サッカー界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏(56)が日本時間の26日深夜、自身のフェイスブックに1枚の写真をアップした。

 25日に90歳で死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長と、マラドーナ氏自身が肩を組み、仲良く談笑しながら歩く写真だった。

 米国へ亡命したキューバ系住民からは「独裁者がいなくなってせいせいした」などと言われているカストロ前議長だが、マラドーナ氏にとっては「父親のような存在だった」という。

 2人が最初に出会ったのは同氏がアルゼンチン代表のエースとして86年W杯メキシコ大会を制した翌年の87年。その後、薬物中毒に陥ったマラドーナ氏を助けたのがカストロ前議長だった。

 マラドーナ氏は90年代以降、複数回ドーピングでコカインの陽性反応を示し、94年W杯米国大会中には興奮剤のエフェドリンを含む数種類の禁止薬物が検出され、出場停止処分が下された。

 医師から薬物を続けると命にかかわると告げられ、治療のために00年にキューバへ移住。以来、数年間ハバナで暮らした。

 カストロ前議長の死を知らされたマラドーナ氏は「泣くことを抑えきれなかった。アルゼンチンの病院が私の薬物治療のさじを投げた時、カストロ前議長はキューバへの扉を開けてくれた」と説明。

 「彼は『君ならできる』と励ましてくれ、私もそのとおりに薬物を克服した。だからこうして今ここにいて、カストロ前議長の話をすることができる」と、アルゼンチンの報道陣に語ったという。

 マラドーナ氏は左ふくらはぎにカストロ前議長のタトゥーを入れている。同前議長の評価は人によってさまざまだが、ブエノスアイレス近郊の貧民街で貧しい工場労働者の息子として育ったマラドーナ氏にとっては、受けた恩義を一生忘れられない「第2の父親」だったようだ。

 【千葉修宏】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「海外サッカーよもやま話」)