日本代表DF内田篤人(24=シャルケ)が元同代表MF藤田俊哉氏(41=本紙評論家)と都内で対談を行い、未来像を語った。静岡・清水出身の先輩後輩の2人。最初は大先輩の前に緊張の面持ちを見せた内田だが、次第にリラックスムードになると、今までにない本音を語った。さらに、ステップアップの場に英プレミアリーグを挙げ、ウッチーが目指す未来が浮かび上がった。現在はチームに合流し、リーグ再開に向けて備えている。【取材、構成=栗田成芳】

 内田は緊張しているようだった。無理もない。サッカーの町・清水から飛び出した同郷の先輩を前にしていたから。だから藤田氏も気遣った。ドイツに渡ってから3度目となる右太もも裏の肉離れを気にかけた。

 藤田

 けがはどう?

 内田

 治ればいいんですけど。前と同じ箇所なんで。

 藤田

 選手にとってけがが一番つらいよな。

 内田

 居場所がなくなるんですよね。特に海外は。試合に出ていないとちょっと…きついですよね。

 藤田

 ドイツに行ってからもう2年半だよね。ドイツ語は?

 内田

 サッカー用語を聞くのは大丈夫。ただ話せる単語は限られますね。でも長谷部さんはすごいっすよ。

 藤田

 おれも引退してから、午前中は英会話教室に通っているんだよね。語学ができないと話にならないから。学生みたいな生活してる。

 内田

 へ~僕も英語やった方がいいと思うんですけどね。

 藤田

 英語はどこでも通じるからね。選手やりながら語学を習得したら最高だよ。やれるときにやったらいいよ。みんなそれで困るんだもん。英語をやって、日本に帰ってくるのはありだと思うよ。

 内田のプライベートに触れると、空気は徐々になごやかムードに。藤田氏の語学のススメから、思わぬ形で将来の話になった。

 内田

 あんまり引退後のことは考えないですね。

 藤田

 考えないよね。だっておれも引退するなんて思ってなかったもん。思わないでしょ?

 セカンドキャリアを考えるって難しいんだよね。何歳までやりたいの?

 内田

 何歳までっていうよりも、サイドバックではないかもしれない。

 代名詞とも言えるサイドバックへのこだわりは人一倍強い。実際にプロの世界で勝負してきているのだから。鹿島でJリーグ3連覇、日本代表として10年南アフリカW杯出場。そして今、シャルケで屈強な外国人相手にしのぎを削る。ただサイドバック以外に興味をそそられたのは、現役時代トップ下を中心に活躍した藤田氏を前にしたからか。

 藤田

 ボランチとか?

 内田

 おもしろそうですけど、訓練が必要ですよね。サイドバックだと、後ろからDFがくることないから。でも、おもしろそうですよね。右サイドから見る景色はずっとやっているから。新しい景色というか、違う景色でプレーをしてみたら、どんな感覚なんだろうとは思いますね。

 藤田

 キックができる選手は絶対にボランチができる。技術があれば、視野っていうのは慣れだからね。

 内田

 やっぱり、真ん中が一番おもしろいんですか?

 藤田

 おもしろいよ。両方から抜けるんだもん。それにいろんなポジションやったら、最終的に選手寿命も長くなると思うよ。

 豊富な運動量で上下運動を繰り返す。何よりも縦への速さが内田の最大の魅力。さらに、正確な右足キックも持ち合わせている。頭を駆使して間合いをつめて、相手の自由を奪う守備力はブンデスリーガで証明済みだ。しかし将来、ベテランの域に達したとき「内田ボランチ」が選択肢に入ってくるかもしれない。ひょんなことから未来像が浮かび上がった。そして、会話から生まれた未来予想図は、どんどんふくらむ。

 藤田

 シャルケも強いけど、その後は?

 次のチャレンジ(移籍)とか考えていないの?

 スペインどう?

 プレミアとか。

 内田

 スペインは日本人難しいかも。タイプが一緒ですから。プレミアいいですよね。どこがいいですかね?

 僕、そういう意見に流されやすいので。

 藤田

 ロンドンは?

 内田

 ロンドンいいですかね。6チーム(チェルシー、アーセナル、トットナム、フラム、ウェストハム、クイーンズパーク)くらいあるけど。

 藤田

 チェルシーもいいけどアーセナルとか。ベンゲル監督がいることは、日本人にとって大きい。世界的主要クラブに日本人が行って欲しいな。

 13年も大事な試合が続く。W杯出場を決められるアジア最終予選ヨルダン戦(3月26日)、コンフェデ杯(6月)に先駆けて、2月には世界最高峰の戦い欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメントが始まる。

 内田

 シャルケ以上のクラブってなると、限られている。そうなると、欧州CLは就職活動ですね。

 ◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県函南町生まれ。清水東高を経て06年に鹿島入団。右サイドバックの定位置を確保し、クラブ史上初の高卒ルーキーで開幕戦に出場した。08年1月のチリ戦で史上4番目の年少記録19歳305日でA代表デビュー。U-23代表で08年北京五輪に出場。鹿島ではリーグ3連覇に貢献。10年南アフリカW杯出場後、シャルケに移籍。176センチ、62キロ。国際Aマッチ出場52試合1得点。