<陸上:日本選手権>◇初日◇8日◇大阪・長居陸上競技場

 侍ハードラーが壮絶に散った-。男子400メートル障害予選2組で、4大会連続の五輪出場を狙った日本記録保持者・為末大(34=CHASKI)が1台目のハードルに足をひっかけ、転倒した。最後まで走りきったが、57秒64の同組7着の最下位。準決勝進出を逃し、涙ながらに「これが人生最後のレース」と、現役引退を明言した。

 「壮絶な最期」だった。勢いよく飛び出しての1台目。右足を引っかけ、前方へ派手に転倒した。すぐ立ち上がれない。勝負は決した。だが棄権はしない。おもむろに立ち上がると、力を振り絞った。勝ち負けは関係ない。自分に対するけじめだった。57秒64の7着でゴール。為末は振り返ると、走り終えたばかりのトラックに向かってゆっくり、感慨深げに頭を下げた。

 為末

 こういう結果になって悔しい。ただ自分の体がこれくらいなんだとハッキリした。仕方ないな。これが人生最後のレースになると思います。

 本来、左足で踏み切るはずなのに右足が出た。1台目の転倒は人生初。「反射的に右になった。1歩多かった。ストライドが出なかった。実力です。オリンピック…、行きたかったですね」。さばさばとした物言いの中にも、少しばかりの未練ものぞかせた。

 北京五輪後、両ひざ、アキレスけんの痛みに苦しみ、長期休養した。3年前に渡米し、新たな取り組みで「侍ハードラー復活」に挑んだ。筋が熱を持つことが痛みを起こす原因となることから、肉食を避けて魚を食べた。マグロの脂を抽出した「オメガ・オイル」を毎日、朝晩欠かさずに飲んだ。「かなり制限をかけ、ストイックにやった。やれることは全部やった」。それでも練習を積めばアキレスけんが痛んだ。自らと闘い続け、そして限界を知った。

 気丈に振る舞っていたが「昔のように走れなかった。やっぱり区切りに…、区切りをつけたい」と言うと、こらえ切れずにおえつを漏らした。01年、05年の世界選手権で2度の銅メダル。昔は勝つことが当然だった。それが年齢とともに勝てなくなる現実に恐怖心を覚えた。「最後の1年は苦しかったし、怖さがあった」と胸の内を明かした。

 レース直後のミックスゾーンで、30分に及ぶ「引退会見」。ひとしきり話し終えた為末は、最後にすっきりした表情で「本当にいろんなものを見させてもらった。幸せな競技人生だった。陸上競技に感謝したい」。日本陸上界に大きな影響を与えた侍が、そっと刀を置いた。【佐藤隆志】

 ◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。五日市中で本格的に陸上競技を始め、広島皆実高3年で総体400メートル優勝。400メートル障害は高3の広島国体で初挑戦して優勝。02年に大阪ガス入りし、03年秋からプロとして活動。01年、05年の世界選手権で銅メダル。五輪は00年シドニー大会から3大会連続出場。400メートル障害の自己記録は01年エドモントン世界選手権での47秒89(日本記録)。家族は妻。170センチ、66キロ。