ピッチの中に“政治色”などみじんもなかった。W杯カタール大会1次リーグB組。核開発などをめぐり、国同士が長く敵対関係にある米国とイランの選手たちは、1次リーグ突破をかけて、最後まで激しく、ひたむきに、そして何よりフェアに戦い抜いた。

ゴール前で倒れた米国のGKターナーを、イランのFWタレミが肩を抱いていたわり、空中戦で痛んだイランのMFレザインを、米国のDFロビンソンが手を差し伸べて助け起こす。そのシーンが語りかけたのは、相手に対する敵意ではなく敬意。この温かい光景に、きっと両国民の心も動いたに違いない。

今回は1-0で米国が勝ったが、私が初めて取材した98年フランス大会は、2-1でイランの勝利。米国が発動した経済制裁で、両国の関係は極度に悪化していたが、試合前のチームごとの写真撮影後、特別に両チームの選手が交互に肩を組んで写真に納まった。あの感動的なシーンを、24年ぶりに思い出した。

試合後はイランの首都テヘランの市街に、勝利に酔った人々が繰り出し、多くの車がクラクションを鳴らして走り、禁止されている西欧の楽曲を大音量で流す車もあったと報じられた。W杯は社会の“ガス抜き”にもなるのだと思った。

愛国心が強く反映するサッカーは、国と国の“代理戦争”と呼ばれることもある。実際に関係が悪化していたホンジュラスとエルサルバドルは、70年W杯メキシコ大会の予選の試合をきっかけに、本当の戦争に発展した。今も政治や宗教の対立が試合に影響を及ぼす地域もある。しかし、本来サッカーには政治対立を超える、大きな力がある。

思い出すのは86年メキシコ大会。82年に南大西洋で英国とアルゼンチンによるフォークランド紛争が起きた。その因縁のイングランドとアルゼンチンが紛争以来初めて準々決勝で相まみえた。試合前は国家間の対立がクローズアップされたが、試合後はアルゼンチンのFWマラドーナの『神の手』と『5人抜き』の話題一色。躍動する選手のプレーと驚きの美技は、あらゆるものを凌駕するのだ。

今大会は世界2位の軍事力を誇るロシアが出場していない。国内総生産(GDP)世界2位の中国は1度しか出場していない。一方で軍隊を持たない、人口が福岡県とほぼ同じコスタリカが、日本の壁として立ちはだかった。W杯に国際的な政治力や経済力、軍事力はほとんど無力。そこにあるのはたった1つのボールを中心にした、自由で、平等で、シンプルな真のグローバル社会。だから人類はW杯に引きつけられるのだと思う。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

イラン対米国 敗れたイラン・レザイアン(下)を慰める米国・リーム(撮影・パオロ ヌッチ)
イラン対米国 敗れたイラン・レザイアン(下)を慰める米国・リーム(撮影・パオロ ヌッチ)