「If you build it,he will come.(それを作れば彼はやって来る)」

その声を聞き、トウモロコシ畑に野球場を作ったのは1990年に日本で公開された映画「フィールド・オブ・ドリームス」だった。

福岡県の南東部にある、うきは市。西日本随一の富有柿の産地として知られる田舎町に突如、ラグビーチームが誕生したのは1年前のことだ。

母体となる企業はない。

ただ、夢だけはあった。

「ルリーロ福岡」として昨年4月から活動を開始。初練習に集まったのは、3人だけ。情熱は人から人へと伝わり、6月末の登録時には36人になった。

長らく九州のラグビー界を支えてきたコカ・コーラとサニックスが業績悪化の影響で廃部となり、行き場を失った選手たちが門をたたいた。うきは市や周辺地域に移り住み、地域おこし協力隊や農機具店、車の部品業者、農園で梨やぶどうなどを出荷する業務に就いた。

仕事が終われば、町で唯一の高校である浮羽究真館に集まってくる。週に5日。できたてのチームとはいえ、志もレベルも高い。

早稲田大出身の島川大輝さん(39)が代表となり、浮羽究真館教諭の吉瀬晋太郎さん(37)が同校ラグビー部とルリーロ福岡の監督を兼務する。

実績がないため、本来なら県の一番下のリーグ(福岡県Dリーグ)からのスタートになる。昨夏に九州協会、福岡県協会に新規参入の申し入れをした際には「通例なら前年までに申請をしないといけない」との指摘を受けたという。

ただ、情熱は人の心をも動かした。島川さん、吉瀬さんらが奔走。ゼロから始まったチームは行政からの協力も仰ぎつつ、設立から数カ月でサポートする企業が約200社となり、支援金は数千万円規模になった。経験ある選手とともに、短期間でチームとしての形ができあがった。吉瀬さんはこう振り返る。

「最終的には県リーグの方から(選手のレベルの違いで)『相手が危ないだろう』ということで、飛び級でトップキュウシュウからスタートしてはどうか、となりました。我々はBリーグあたりを勝手に予想していたのですが、いきなりAリーグに入れていただいた」

昨秋、九州最高峰となるトップキュウシュウAリーグで、ルリーロ福岡は4勝1敗の勝ち点20で1位となる。順位決定戦(11月23日)では日本製鉄八幡を39-19で破り、創設1年目で優勝という快挙を達成した。関東、関西を交えた各地区王者が集う昨年12月の3地域社会人リーグ順位決定戦は2戦全敗に終わったが、目標とするリーグワン参入がはっきり見えた1年目だった。

「今の実力では関東、関西にはまだ及ばない。競技性を強めないといけないということが分かりました。競技性をアップするためには、グラウンドなどのハード面を含めてさらに高めていく必要がある。3年以内にリーグワン3部昇格。最終的には1部優勝までもっていきたい」

そう語る吉瀬さんは、浮羽究真館ラグビー部との相乗効果も感じている。

「ルリーロがリーグワンに近づいているように、高校ももうすぐ全国大会に行けると思います。ルリーロの影響で強くなっている。間違いなく、大きな流れがきています」

今冬の全国高校ラグビーは東福岡が全国制覇した。福岡県の代表として花園に出るということは、その東福岡を倒さねばならない。それでも吉瀬さんは「大丈夫です」と言い切る。もうすぐ、ラグビー部の寮が完成。この春には、有望な選手が入学してくるという。相乗効果で九州の田舎町を、ラグビーの町へと変え、応援する人が増えている。

「ルリーロ」の由来は、うきは市の象徴となるカワセミの瑠璃色の羽と、フランス語で笑いを意味する「Le Rire」からとった。

ラグビー版の「フィールド・オブ・ドリームス」。夢は現実となり、近い将来、日本一を目指す集団になる可能性を秘めている。【益子浩一】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

創設1年目でトップキュウシュウを制したルリーロ福岡(チーム提供)
創設1年目でトップキュウシュウを制したルリーロ福岡(チーム提供)
土のグラウンドで練習をするルリーロ福岡の選手たち(チーム提供)
土のグラウンドで練習をするルリーロ福岡の選手たち(チーム提供)
創設1年目で快進撃を遂げたルリーロ福岡のメンバーと関係者(チーム提供)
創設1年目で快進撃を遂げたルリーロ福岡のメンバーと関係者(チーム提供)
円陣を組むルリーロ福岡の選手たち(チーム提供)
円陣を組むルリーロ福岡の選手たち(チーム提供)