<フィギュアスケート:全日本選手権>◇第1日◇21日◇さいたまスーパーアリーナ

 男子の町田樹(23=関大)が、初の五輪を視界に捉えた。ショートプログラム(SP)で冒頭に4回転+3回転に成功し、93・22点の高得点で2位発進。3カ月で6試合の過密日程に耐え、今日22日のフリーで表彰台に立てば、ソチ切符に大きく近づく。

 演技予定表と違った。町田は、冒頭で4回転+3回転を跳んだ。「五輪を狙うなら僕のチャンスは今季限り。逃げ腰でどうする」。勝負に勝って、波に乗ると「エデンの東」を演じ切り93・22点の2位。1万7081人の大観衆の熱気に、伸ばした左手を握りしめ涙を見せた。「手の中にソチの光が必ず収まると強い気持ちを持っている」。冒頭で4回転だけの予定表を出した大西コーチは「体がきつかったから1本にしたが。練習通りに3回転がついたのは本能だ」と言った。

 過密日程の完走まであと1日だ。今大会のシード権はなく、9月26日開幕の近畿選手権(大阪)から2週間おきにデトロイト→京都→モスクワ→福岡と戦った。大西コーチは「競走馬だったら死んでる」と顔をしかめる過酷さだ。「まぶたが重くて上がらない。手も足も上がらない」。異変を訴えたのは2日前の19日。体全体がむくんだ。母弥生さん(44)は「手が上がらないなんて初めて」。練習を中断して、地元大阪で病院に向かった。マッサージでむくみをとって、関東入り。右足のスケート靴が壊れるアクシデントもあった。それでも「問題ない」と潔く言った。

 最初から何でもできたわけじゃない。3歳でスケートを始めた。周囲が1年で選手コースに進む中で、幼児クラス卒業に3年間かかった。氷上に2個のフラフープで作った8の字を、両足を開閉して行ったり来たり。弥生さんは「全然でした。全然×100ぐらい。よく怒られてワンワン泣いて悔しがっていた」。

 地味な努力が20年をへて、花開こうとしている。哲学を好む読書家だが、強行日程で文字を読めなかった。代わりに世界的なバレエダンサー熊川哲也のDVDを鑑賞。「熊川さんは一流の中の一流。目で見て、身体表現を取り込みたい」と言う。今季のテーマは原作「エデンの東」に出る「Timshel(ティムシェル)」。自分の運命は自分で切り開くという解釈を「町田樹史上最高傑作」というSPに込めて、演じた。

 「SPは暗闇と隣り合わせでこわかった。恐怖心が魂からわき出る力をくれた。普段は自分のことが好きじゃないけど、自分を誇りに思う」。今日22日はフリー「火の鳥」。「最後まで神経をとぎすませてやったものしかソチの光は手に入らない。五輪に行くのは僕だと信じている。火の鳥で目いっぱい飛翔(ひしょう)したい」。【益田一弘】

 ◆町田樹(まちだ・たつき)1990年(平2)3月9日、神奈川県川崎市生まれ。3歳で競技を始める。昨季までの2季は米国、現在は大阪が練習拠点。08年ジュニア全日本選手権2位。09-10年からシニアに参戦し、10年ネーベルホルン杯で自身初の4回転トーループを成功させて初優勝。GPシリーズは12年中国杯で初優勝を飾り、通算3勝。全日本選手権は09、11年の4位が最高位。163センチ、53キロ。