世界最高のジムナスト、内村航平(26=コナミスポーツク)を擁する日本が、悲願の団体金メダルに輝いた。6種目の合計270・818点で、78年ストラスブール(フランス)大会以来37年ぶり、五輪を含めると04年アテネ五輪以来の頂点に立った。終盤の平行棒と鉄棒で内村を含めてチームに計3つの落下があったが、前半種目の貯金を生かして逃げ切った。内村にとっては待ち焦がれた金メダル。30日(日本時間31日)の個人総合では前人未到の6連覇を目指す。

 最終種目の鉄棒の採点を待つ間、内村は不安を隠せなかった。手放し技でまさかの落下。全種目を終えてトップに立っていた英国を抜くには13・966点以上が必要だったが、「正直、ヤバイと思った。14点出るだろうか」と青ざめた。結果は14・466点。落下による減点以外の部分はしっかり演技内容が反映された数字だった。

 「倒立の収まりが良かったし、着地も決まった。日本の体操は美しいという実施の評価をもらったのだと思う」。笑顔を爆発させたエースは祈るように待っていた仲間と抱き合った。

 25日予選の床運動で着地の際に頭部を打ち付け、目の前に火花が散った。その際に首を痛めるアクシデント。チームに衝撃が走った。ところが天才の体には奇跡的な治癒能力が備わっていた。治療に当たった今井聖晃トレーナーが施したのは、硬くなっていた頸椎(けいつい)の後頭骨と頸椎の1番の動きを出すためのマッサージ。「一押しごとに動くようになるのが分かり、鳥肌が立った。27日昼には4割の回復だったが、27日夜には8割戻った」と舌を巻いた。決勝では予定通り6種目すべてをこなし、恋い焦がれた「団体金メダル」へまい進。昨年0・1点差で敗れた中国の7連覇を阻止し、終盤に追い上げてきた地元の英国も退けた。

 今大会は事前から主力にケガ人が続出し、不安は多かった。8月に加藤凌平が左足首の靱帯(じんたい)断裂および腱(けん)脱臼。9月には田中佑典が右手首を痛めた。英国入りしてからは長谷川智将が股関節を痛めて車いすで帰国。代わりに新鋭の早坂尚人を起用するスクランブル布陣だった。内村という軸がいなければなしえなかった優勝だ。

 「僕が代表に入ってから日本はずっと2位だった。やっと歴史を塗り替えられた。東京五輪世代の選手たちにも“日本の伝統は団体金だ”ということを知ってもらえたと思う」

 団体で初めて頂点に立った内村には、中1日で次の試合が待っている。6連覇のかかる個人総合へ向け、王者は休む暇もなく準備を進めていく。【矢内由美子通信員】

<内村の団体総合>

 ◆08年北京五輪(19歳) チーム最年少で、決勝は床運動、跳馬、平行棒、鉄棒に出場。残り2種目で3位に落ちたが、最後の鉄棒で逆転して銀メダル。「4年後に金メダルをとればいい」。

 ◆10年ロッテルダム世界選手権(21歳) 2位で予選を通過し、中国を追った。跳馬と平行棒で追い上げたが、最後の鉄棒で田中、内村がミス。金メダルを逃して「前と同じ光景。2年前も、悔しいと思った」。

 ◆11年東京世界選手権(22歳) 予選を首位で通過しながらも、決勝ではミスを連発。予選5位の中国に逆転負けを喫した。最終種目の鉄棒で田中佑と内村が落下。「五輪の(団体)金が1番の目標なので」。

 ◆12年ロンドン五輪(23歳) 予選でミスを連発し、5位通過。決勝では、最後のあん馬で内村がバランスを崩した。抗議の末に銀メダルは手にしたが「2位も4位も変わりない」。

 ◆14年南寧世界選手権(25歳) 予選2位ながら決勝では最初の床運動から首位をキープ。最後の鉄棒で中国が高得点を出して0・1点差で逆転された。「言いたいことは山ほどあるが、これはしょうがない」。