お母さん、ありがとう。約束通り、自分の夢に向かって…。9日に母匡子(きょうこ)さん(享年48)を肝硬変で亡くした、フィギュアスケートの浅田真央(21=中京大)が12日、所属事務所を通じて全日本選手権(23日開幕、大阪・なみはやドーム)出場を発表した。GPファイナル(カナダ・ケベック)を欠場して緊急帰国後、沈黙してきたがこの日、母への思いをつづったコメントを発表した。

 最愛の母を失い、傷ついた心は癒えない。しかし、浅田には、母とともに夢をかけたフィギュアがある。「生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれることだと思い、今まで通り練習に励みたいと思います」。全日本への出場を決めた。

 母の死を知ったのは、GPファイナル欠場を決めて、9日の夕方に成田空港に到着した直後だった。父敏治さんからのメールが目に飛び込んだ。「ママは頑張れなかった」。空港では、黒のニット帽と白いマスクで顔は隠された。しかし、のぞいた瞳は、涙で潤んでいた。名古屋市内の病院に直行し、何度も呼び掛けたが、母が目を覚ますことはなかった。

 11日に通夜、12日に葬儀・告別式が、ともに近親者だけで自宅で営まれた。浅田は、この日まで1度も自宅から出ずに、母の亡きがらに付き添っていたという。母は、浅田に夢のすべてを託し、天に昇った。

 来年3月に行われる世界選手権(フランス・ニース)の代表入りを狙うには、全日本出場は必須だった。「お母さんに、何度『ありがとう』と言っても足りません」。感謝の気持ちを抱き、浅田は強い意志で歩き始める。【吉松忠弘】<浅田真央コメント>

 応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

 この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。

 最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

 帰る飛行機の中では、色々なことを考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

 しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。

 それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

 でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

 この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。

 まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

 私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

 生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

 皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

 浅田真央(原文まま)