<テニス:全米オープン>◇第10日◇3日(日本時間4日)◇米ニューヨーク・ナショナルテニスセンター◇男子シングルス準々決勝

 日本男子の歴史が動いた!

 世界11位の錦織圭(24=日清食品)が、戦後初の4大大会ベスト4に進出した。今年の全豪覇者で同4位のスタニスラス・ワウリンカ(29=スイス)に3-6、7-5、7-6、6-7、6-4の4時間15分のフルセット勝ち。全米では1918年(大7)の熊谷一弥(くまがい・いちや)以来96年ぶり、4大大会では33年(昭8)ウィンブルドンの佐藤次郎以来81年ぶりの4強入りとなった。準決勝は6日(日本時間7日)に、日本人初の決勝進出をかけて同1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)と対戦する。

 陽光まぶしい青空から、あかね色に変わった天に向け、錦織は誇らしげに胸を張った。ニューヨークは2014年9月3日、午後7時28分。日本テニスの歴史が動いた。2度目のマッチポイント。ワウリンカのフォアがネットにかかった。

 錦織

 信じられない。最後、どうやって勝ったのかも覚えていない。今は言葉が出てこない。大好きなグランドスラム(4大大会)でいい思い出ができた。

 何という男だ。1日の4回戦で、ラオニッチ(カナダ)を相手に今大会最長の4時間19分を戦い、2日午前2時26分に試合終了。その36時間半後に再びコートに立ち、4時間15分を戦い抜いた。2戦連続の4時間超えの大熱戦。「疲れていて、喜ぶ元気もなかった」と、さすがに胸を張るのが精いっぱい。それでも勝利だけは手放さなかった。

 死力を尽くした。勇気を持ってネットに出た。時速約145キロ前後のサイドに切れるスローサーブでタイミングを外した。得意のフォアハンドをたたき込んだ。第3セットのタイブレーク。6-7でセットポイントを握られたが、「いちかばちかだった」という電光石火のバックのストレートが決まった。「ヤー!」の絶叫とともに、右手で胸をたたき自らを奮い立たせた。第3セットを奪い、先手を取ることに成功した。

 実は勝負に勝ち、内容では負けていた。合計獲得ポイントは、ワウリンカの181に対し、錦織は177。特に第4、5セットはワウリンカがポイントを落とさずサービスゲームをキープしていくのに対し、錦織は自分のサーブで「ブレークポイントを逃れるのが精いっぱい。ワンチャンスをものにした」。重要なポイントで集中力を発揮した。

 「庭球界の巨星」こと熊谷が、96年前の全米で4強入り。1890年(明23)生まれの熊谷に、1989年(平元)生まれの錦織が肩を並べた。渡航が困難で一部の国だけで盛んだった戦前と、一年中大会で世界を飛び回り、男子ツアーでポイントを有する選手が2200人余りいる現在とを単純比較はできないが、歴史的偉業には変わりない。その偉業を支えたのは、錦織の粘り強い精神力。4大大会の5セット試合は10戦して1敗しかしていない。「5セット戦うのは大変だけど、本当に自信を持っている。攻める気持ちを忘れずにいった」。

 トップ10復帰にも前進した。準決勝は世界1位のジョコビッチ。3年前のスイス室内で金星を挙げており、対戦成績は1勝1敗。疲労はピークにあるが「これからどんどん強くなれる。決勝に行きたい」。前人未到の世界は、もう目の前だ。【吉松忠弘】

 ◆錦織圭(にしこり・けい)1989年(平元)12月29日、島根県松江市生まれ。13歳で米国留学し、17歳でプロ。08年に日本男子で松岡修造に次ぐツアー制覇を果たし、現在5度優勝。5月に世界ランキング9位になり、現行制度で日本男子初のトップ10入り。青森山田高出。