72年ミュンヘン五輪で柔道男子の重量級と無差別級の2階級制覇を果たし、アントニオ猪木との異種格闘技戦で名勝負を演じたオランダのビレム・ルスカさんが14日に死去した。74歳だった。15日、国際柔道連盟(IJF)が発表した。01年から脳出血のため闘病していたという。

 01年から脳出血を患ったルスカさんは、14年からはアムステルダムの老人ホームでリハビリを続けていた。亡くなる前日の13日には、元K-1王者のアーネスト・ホーストが、ルスカさんをホームに訪ね、2ショット写真をフェイスブックに公開。ルスカさんへの援助を呼びかけていたが、その後、容体が急変して帰らぬ人となった。

 柔道時代、日本では「赤鬼」と呼ばれていた。金髪に、白い肌は競技中になると真っ赤に染まった。10年に亡くなったアントン・ヘーシンクさんに続き、日本柔道界の前に立ちはだかったオランダの大きな壁だった。ミュンヘン五輪前には、93キロ超級の準決勝でも対戦した西村昌樹(もとき)さん(77)のもとを訪ね、けいこを重ねた。同五輪では、無差別級と合わせ2つの金メダルを獲得。同一大会で2階級を制覇した唯一の選手となった。

 現役引退後はプロ格闘家に転向。「ウィリエム・ルスカ」などの名前で活動し、アントニオ猪木に挑戦状をたたきつけた。76年2月6日、日本武道館で猪木と「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、柔道対プロレス対決を行った。猪木に敗れはしたが実力を存分に発揮し、評価を高めた。何より、2人の対決が「異種格闘技戦」を確立させることになった。

 ルスカさんは、その後も猪木と対戦。ブラジルで柔術家と対決したり、坂口征二と柔道着対決を行ったり、新日本プロレスに参戦したりと、格闘界に話題を提供した。13年にはIJFの殿堂入りも果たしていた。

 ◆ビレム・ルスカ

 1940年8月29日、オランダ・アムステルダム生まれ。20歳で柔道を始め、67年、71年に世界選手権の重量級で優勝。72年ミュンヘン五輪で無差別、93キロ超級で金メダル。その後、プロ格闘家に転向。アントニオ猪木らと名勝負を演じた。現役時代は190センチ、110キロ。<ルスカvs猪木名勝負>

 ◆76年2月6日(日本武道館)柔道対プロレスの異種格闘技戦。猪木のバックドロップ3連発で、20分35秒、タオル投入でルスカのTKO負け。

 ◆76年12月9日(蔵前国技館)ルスカの再戦要求で、第2戦が実現。両者激しい戦いを演じ雪辱に燃えるルスカが暴走。21分27秒、ルスカのレフェリーストップ負け。

 ◆94年9月23日(横浜アリーナ)猪木のファイナルカウントダウンに、ルスカが参戦。三たび対戦が実現し、猪木の絞め技にルスカがラフファイトで応戦。最後は11分37秒、裸絞めでルスカが敗れた。