<ラグビー日本選手権:三洋電機40-18サントリー>◇16日◇東京・秩父宮ラグビー場◇決勝

 三洋電機がトップリーグ王者サントリーを40-18で下し、初めての「日本一」に輝いた。公約通りにボールを動かす展開ラグビーで4トライ。サントリーの強力モールを封じ込み、プレーオフ決勝で敗れた雪辱を果たした。全国タイトルは95年度の全国社会人大会以来。当時はサントリーと引き分けており、決勝進出11度目にして初の単独優勝を達成。悲運の歴史に終止符を打つ会心の勝利だった。

 三洋電機の悲願が成就した。宮本監督を胴上げするフィフティーンの目には涙が光り、飛びきりの笑顔がまぶしい。3度宙に舞った宮本監督は「選手たちにありがとうといいたい。自分たちが一番強いと信じ、これまでやってきたことを信じ、仲間を信じたことが結実した」。選手時代には1度も味わったことのない至福の瞬間に酔いしれた。

 これまでの悔しさを力にして戦った。前半6分、FB田辺のPGで先制し、8分には鮮やかな展開でトライを奪った。右ラインアウトから左に動かし、田辺が左隅へ飛び込む。「先手先手を取ること。そうすると相手は時間が稼げない」と主将のCTB榎本。プレーオフ決勝でサントリーのスローテンポ作戦にはまった教訓を生かした。15分にはWTB三宅が続いた。

 ボールを動かさざるを得ない状況に相手を追い込んだ。プレーオフ決勝でのサントリーの戦術をクリンチと酷評した宮本監督は「パンチの打ち合いに応じてくれた。KO勝ち」と振り返った。1トライ、4G、4PGと1人で25点を挙げた田辺は「自分が歴史を変えたと思うと光栄」と胸を張った。小さいころ、花園で三洋電機の苦闘を目の当たりにしていただけに人一倍、喜んだ。

 04年10月。チームに転機が訪れた。開幕4連敗を喫し、柴田監督が退任。主将経験がある宮本監督が後を引き継いだ。両ひざを故障し27歳の若さで現役引退。敏腕営業マンとして社業に励んでいた時、突然の指名だった。「まさに青天のへきれき」だったが「柴田さんが種をまき、基礎はしっかりしていた。譲り受けた以上は責任がある」と意を決した。守りが最大の武器と意識改革。選手選考は「防御システムの理解度」を最重視した。

 守りからターンオーバーしてのカウンター攻撃。監督4年目にして、宮本イズムが花開いた。榎本は「1年間かけてやってきた自分たちのラグビーが最後の最後にやれた。自信につながる」と言う。宮本監督はこの日の朝、選手の生き生きした顔を見て勝利を確信したという。「ボールがよく動く面白いラグビーをして勝てたのは誇りに思う。ただ、僕は最後のゴングが鳴るまでドキドキでしたよ。過去の歴史があるから」。今季は通算16勝1敗。三洋電機が最後に笑った。【三角和男】