<大相撲名古屋場所>◇13日目◇23日◇愛知県体育館

 横綱白鵬(25=宮城野)が「昭和の大横綱」に肩を並べた。大関琴欧洲(27)の下手投げに耐え、最後は得意の左上手投げで下して初場所14日目から45連勝。1968年(昭43)から69年にかけて横綱大鵬がマークした昭和以降3番目の連勝記録に並んだ。入門時から尊敬し、07年の横綱昇進前日には「綱の心得」を教わった先輩横綱への恩返し。2敗の平幕豊真将(29)が勝ったため2場所連続の13日目Vこそならなかったが、14日目に豊真将が敗れるか自身が大関日馬富士(26)に勝てば、3場所連続15度目の優勝が決まる。

 笑顔なき記念日だった。白鵬が、尊敬する大鵬に追い付いた。連勝が始まった初場所14日目から、ちょうど6カ月。積み上げてきた白星はついに「45」になった。「こういう場所で並んだというのが、ちょっと残念です。少しはうれしいですけどね」。この日も協会員と暴力団との関係が取りざたされた。土俵に集中できない環境への怒りが、言葉に込められていた。

 硬くなった。相手は45連勝をスタートした琴欧洲。昨年夏場所で33連勝を止められた因縁の相手でもある。立ち合い、先に手をつく大関に「待った」をした。「仕切り直して良かった。立った瞬間、いいとこ取ったんでね」。呼吸を整え、2度目の立ち合いは速かった。得意の左上手をつかみ、長身大関の投げにも崩れない。体を寄せ、逆に追い詰め、最後は横転させるような上手投げで仕留めた。

 しこ名は大鵬と柏戸を合わせた「柏鵬」が由来だ。入門時に172センチ、65キロだった白鵬少年は「大鵬少年」に勇気づけられた。同じような184センチ、75キロの細身から精進を重ね、大横綱になった大鵬の新弟子時代の写真だった。「自分が相撲を始めた時と同じ。頑張れば自分も大鵬親方のようになれると思った」。

 横綱昇進伝達式前日の07年5月29日。元大鵬の納谷幸喜氏(70)の誕生日に、アポなしで駆けつけた。「横綱の心得を聞きたい」という白鵬に、納谷氏は語りかけた。「横綱は勝てなければ辞めるしかない。明日からは引退と隣り合わせだ。心を磨き、大関まで以上にけいこして、すべての記録を塗り替えなさい」。心に刻み込んだ教えだった。

 磨く「心」は完成の域まできたのか。11日目、取組を待つ土俵下では、目の前に把瑠都と稀勢の里がもつれて落ちてきた。体をのけ反らせるのが普通だが、白鵬は一目すらしない。土俵生活42年目、立呼び出しの秀男(60)は驚いた。「普通は顔つきが変わるものだけど、まったく動じなかった。最近は泰然自若というか、大鵬さんに雰囲気が似てきた。円熟だね」。

 豊真将が意地を見せ、優勝は14日目以降に持ち越された。帰り際には自ら「笑顔がないね。賜杯だけでも何とかならないかな」とつぶやくほど、重いものを背負う。周囲の騒がしい雑音そして連勝記録への重圧-。賜杯ならぬ「優勝旗レース」の先頭を走り続ける無敵横綱は、相撲界のために勝ち続ける。【近間康隆】