オリックス守護神の平野佳寿投手(38)のNPB通算200セーブ到達が、秒読み段階に入ってきた。4月26日の日本ハム戦で、日本選手6人目の日米通算200セーブを達成。次の金字塔が、目の前に迫る。

17年前、京産大のエースだった平野佳は大学・社会人ドラフトの「希望枠」でオリックスに入った。オリックスは年明け早々から平野佳の獲得を目指し、密着マークを続けていた。当時のオリックスは、96年の日本一を最後に低迷期のまっただ中。アマ選手が希望球団を選ぶ「逆指名」の時代で、長い不振に苦しむチームをドラフトの目玉選手が望むだろうか。平野佳が活躍するたび、そう思った。だが平野佳は、オリックスの思いに応えた。

争奪戦に加わっていたと見られた他球団の編成担当から「オリックスの担当が本当に熱心だったから」と聞いた。目玉選手の逆指名を勝ち取るための、強烈な駆け引きが球団間で行われていた時代。A球団への入団を決めた、と言われた選手が、次の週にはB球団に心変わりしていたケースはあった。担当スカウトが熱心…なくらいで他球団が手を引くとは、とても思えなかった。だが、熱意はやはり決め手になったのだ。

オリックスは球団をあげて熱心なアプローチを続け、担当の酒井勉スカウト(現金沢学院大コーチ)は平野佳を見守り続けた。春季リーグ戦前のキャンプでは3日間、正面、左右、後ろから投球をチェック。平野佳のすべてを見ようという、プロの探究心だった。当時の勝村法彦監督の許可を得て、ミットを構える捕手の後ろから3日でトータル約400球の球筋を確認。逆球がわずか4球というコントロールのよさに、担当スカウトは舌を巻いた。

投球をつぶさにチェックするプロの実直さは、見られる側の心に響いたという。オリックスと平野佳が相思相愛になる要因の1つになった、と後に勝村監督は教えてくれた。

蜜月は、平野佳が38歳になった今も続く。18年から3年間メジャーで投げ、また平野佳はオリックスに戻ってきた。守護神として昨年は25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、今季も勝利への最後のイニングを託される。17年前のドラフトの成功を、長寿の守護神は示している。【堀まどか】

京産大・勝村法彦監督から激励コメント入りボールを手渡されるオリックス平野佳寿(2006年1月撮影)
京産大・勝村法彦監督から激励コメント入りボールを手渡されるオリックス平野佳寿(2006年1月撮影)