ベルーナドームで開催されたプロ野球引退選手のセレモニーを兼ねた特別試合「PERSOL THE LAST GAME 2022」。引退の区切りをつけた選手たちの全力プレーの一方、47歳の私にとっては約30年ぶりの“再会”もあった。

試合後のグラウンド上。三塁側ベンチ前で、ユニホーム姿の同世代のオジサンに声をかけた。「小山田さん」。広島、横浜(現DeNA)で投手として活躍し、2010年に引退した小山田保裕さん(46)だ。母校の茨城・土浦日大の1学年後輩。私は軟式野球部主将、彼は硬式野球部で1年からエース。野球の共通点はあっても、当時は1学年22クラス1000人以上のマンモス校で、学年が違っては面識はない。今となっては大変おこがましいが、高校時代は「オレが硬式やっていたらエースの座を争っていたんだろうなあ」と思いつつも、うらやましさ半分、憧れ半分の大きな存在だった。

「PERSOL LAST GAME」 7回から登板したウエストドリームスで元DeNA小山田は、打者2人に投げ終えて降板する(撮影・菅敏)
「PERSOL LAST GAME」 7回から登板したウエストドリームスで元DeNA小山田は、打者2人に投げ終えて降板する(撮影・菅敏)

日刊スポーツに98年に入社し、もうすぐ25年。02年には広島で30セーブを挙げ、横浜でも中継ぎで存在感を示す姿を、勝手に応援し続けていた。「いつか、取材したい」。同年代の同窓生を取材することも夢の1つに加わっていた。

少し茨城弁が抜けきっていない口調も私と小山田さんの共通点だった。「まわりの年齢を見た時に明らかに抜けてオジサンだったので、ビジョンに『46歳』って表示されて少し恥ずかしい思いもあったんですけれど、久しぶりにドキドキ、緊張する感じが懐かしくうれしかったです」。目尻を下げた優しい表情で名刺交換をした。肩書は「横浜DeNAベイスターズ ビジネス統括本部営業部」。「マウンドでベルーナドームの広告も見ちゃいましたよ~」と笑う姿は、30年前に母校の購買部で唐揚げパンを買っている姿を見かけた時に似ていた。

「PERSOL LAST GAME」 7回から登板し、マウンドで笑顔を見せるウエストドリームスで元DeNA小山田(右)(撮影・菅敏)
「PERSOL LAST GAME」 7回から登板し、マウンドで笑顔を見せるウエストドリームスで元DeNA小山田(右)(撮影・菅敏)
広島時代の小山田保裕(2007年8月28日)
広島時代の小山田保裕(2007年8月28日)

「まだ右肩が痛くてね。何とか球速3ケタ出したいなと思って力いっぱい投げたら、スピードガン表示が100キロいっていたので楽しいマウンドになりました」と12年前に手術を受けた右肩痛ともいまだに闘っていた。現役時代のリリーフ時は日々の重圧で、登板前は吐き気をもよおしながらマウンドに上がっていたことも教えてくれた。つい最近まで50肩? 40腕? で草野球のマウンドから遠ざかっていた私とは雲泥の差。高校時代に勝手に妄想していたライバル心が恥ずかしい限りだ。

サッカー、五輪、相撲、社会ネタなどを取材してきた私も、今年11月から初めて「野球部」の肩書となった。引退試合での“再会”を力に、「プロ野球担当記者47歳ルーキー」として好投すべく、“ブルペン”で肩をつくっています。【遊軍 鎌田直秀】

「PERSOL LAST GAME」 7回から登板したウエストドリームスで元DeNA小山田(撮影・菅敏)
「PERSOL LAST GAME」 7回から登板したウエストドリームスで元DeNA小山田(撮影・菅敏)